- 戦争文学の金字塔が描く「静かなる地獄」
広島原爆を淡々と記録しつつ、その裏に潜む地獄の現実を読者の脳裏に突き立てる。過剰な感情表現を避けることで、むしろ生々しい恐怖と悲惨さが鮮明に浮かび上がる。 - 「書簡」がもたらす真実の衝撃
物語中に挿入された被爆者の手記は、虚構を超えた証言の重みを放つ。 - なぜ今読むべきか――
被爆国・日本の国民として、この記憶を風化させてはならない。差別や偏見という戦後の闇を含め、極限下でも人は支え合えること、希望を胸に日々を生き抜くことを本作は示す。
★★★★☆
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『黒い雨』ってどんな本?
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日本文学史に輝く名作、井伏鱒二の『黒い雨』。
第二次世界大戦末期、1945年8月6日。広島に投下された原子爆弾と、その直後に降った「黒い雨」。
井伏鱒二は、この未曾有の惨禍を、淡々とした筆致で描きながら、人間の尊厳と希望を問いかけます。
私は本作をAudibleで聴きました。語りは渡辺謙さん。凄惨な描写も少なくありませんが、その淡々と落ち着いた語り口が、かえって現実の重さを引き立てます。
戦争の悲劇を風化させないために、そして「どんな厳しくい状況だろうと、日々は淡々と流れ、人は、支え合いながら、日その日を生き抜こうとする」ことを知るためにも、今なお読み継がれるべき一冊です。
原爆文学の金字塔と称されるこの作品の魅力を、あらすじや作中で重要な役割を果たす「書簡」に触れながら紹介します。
『黒い雨』あらすじ ― 被爆の真実と結婚への希望
物語は、広島郊外で暮らす平凡な一家、主人公の閑間重松(しずま しげまつ)が姪の矢須子(やすこ)の縁談を進めるため、健康状態を説明する資料として、被爆体験を日記形式でまとめる場面から始まります。
矢須子は直接爆心地にはいなかったものの、原爆後に降った「黒い雨」を浴びています。この事実が、結婚話の障害となっていました。
重松の日記には、閃光と爆風、炎に包まれる市街、救護所の地獄、そして降りしきる黒い雨が淡々と記録されます。
しかし努力もむなしく、矢須子は少しずつ原爆症に蝕まれていきます。それでも必死に生き抜こうとする彼女と、それを支える家族の姿が、静かに描かれます。
「書簡」が語る生々しい記録
井伏は、物語の中に、実際の被爆者から託された「書簡」や「日記」を引用しました。作り物ではない真実です。
皮膚が焼けただれ、川には遺体が浮かび、救護所では病人にウジ虫が湧き、街全体が焦げた匂いと死臭に包まれる――。この記録が感情をあえて排し、淡々と綴られるからこそ、読む者に訴えてくるものがあります。
黒い雨。原爆症ー凄惨な現場
原爆の超高温と爆風で舞い上がった塵や瓦礫、燃えかすが、放射性物質と共に上空で冷え、黒い雨として降下しました。この雨は爆心地から数キロ離れた地域にも降り、直接の熱線被害を免れた人々にも内部被曝をもたらしました。
セシウム137、ストロンチウム90などの放射性物質が、後の白血病やがんを引き起こしたのです。
物語の中では、原爆症とはいかなるものか、その被害が淡々と描かれます。
短期症状(数時間~数日):悪心、発熱、嘔吐、下痢
中期症状(数日~数週間):脱毛、紫斑、粘膜出血、口内炎
長期症状(数ヶ月~数十年):白血病、甲状腺がん、肺がんなど
病院は壊滅。医師も看護師も少なく治療らしい治療はほとんど行われない中、多くの人が放射線病の苦痛にのたうち回りながら息絶えていきました。生き残った人も、体中にケロイドが残り、差別と偏見、そしていつ発症するか分からない原爆症の恐怖に苛まれ続けました。その辛さ、いかばかりだったのでしょうか。
作品が問いかけるもの:人として希望を持って生きる
1945年8月6日午前8時15分。広島の空に走った悪魔の閃光は、一瞬にして街を「生ける地獄」に変えました。しかし、井伏鱒二の筆はあくまで淡々としています。重松や矢須子の嘆きや絶望は、大きく感情を煽ることなく描かれます。
私ははじめ、そのことに違和感を覚えました。そして、こんなことを考えます――あまりに惨烈な現実の前では、人は自己防衛のために感情のメーターを振り切らせ、悲しみや恐怖さえも麻痺させてしまう、そんな現実をこの作品は描きたかったのではないだろうかと。
しかし、読み進めるうちに気づかされます―― 井伏が描こうとしたのは、「地獄の絶望」そのものではなく、その只中で互いを思いやり、小さな希望を胸に日々を生き抜く人々の姿だと。
重松が矢須子の被爆差別をなくそうと奔走する姿。病に苦しみながらも結婚という「普通の幸せ」を追い求める矢須子の意志。それは、困難な状況下で人間の尊厳を守ろうとする強い意思の表れです。また、食糧事情の悪化の中でも、何度も「何を食べたか」が何度も描かれるのも、人間の営みです。
そして、こんな当たり前の真実にたどり着きました――“人”は極限下でも、日々と向き合い、助け合いながら、小さな希望を胸に淡々と生きていく生き物なのだということを。思えば、災害に見舞われても、コロナ禍で世界がパニックに陥っても、人々はやがて日常を取り戻す日を思い描きながら、淡々と暮らし続けました。
どんな逆境にあっても、そこが地獄であっても、自暴自棄にならず、発狂もせず、そして希望を失わずに生きる――。
「人間の尊厳」を大事に生きたいです。
最後に:なぜ今、『黒い雨』を読むべきか
井伏鱒二の『黒い雨』を読み終えてーー。
派手な演出や感傷的な描写は少ないのに、その静かな言葉の奥には、原爆の悲惨さと人間の強さ、そして平和への切実な願いがこもっていました。特に「書簡」という形で挿入される生々しい記録は、物語の枠を超えて胸に突き刺さる真実の重みがありました。
私たち日本人は、原爆を受けた唯一の国民として、この記憶を決して風化させてはなりません。
戦後に続いた被爆者への偏見や差別も、忘れてはならない教訓です。これは現代に生きる私たちが直面する差別や分断にも直結しています。
そして、どんな理不尽な困難の中でも、人は互いを思いやり、支え合い、静かに前を向くことができるーー この3点が、この物語を読むべき理由なのだろうと感じました。
『黒い雨』は、今を生きる私たちに、戦争の愚かさと人間の尊厳、そして未来への責任を問いかけ続けます。
ぜひ、渡辺謙さんの語りで、名作を聞いみてください。最初の5分間 サンプル体験も可能です。
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