- 誘拐事件の被害者と加害者の関係を描くヒューマンドラマ。面白いとは違う深みのある作品
- 深い心理描写で読者を引き込む。緻密なストーリーテリングも凄い。2020年本屋大賞受賞作
- 映画は小説の良さを”全く”描き切れていない!小説も読むべし!
★★★★★
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『流浪の月』ってどんな本?:あらすじ
【2020年本屋大賞受賞作】
愛ではない。
けれどそばにいたい。
新しい人間関係への旅立ちを描いた、
息をのむ傑作小説。最初にお父さんがいなくなって、次にお母さんもいなくなって、わたしの幸福な日々は終わりを告げた。すこしずつ心が死んでいくわたしに居場所をくれたのが文だった。それがどのような結末を迎えるかも知らないままに――。だから十五年の時を経て彼と再会を果たし、わたしは再び願った。この願いを、きっと誰もが認めないだろう。周囲のひとびとの善意を打ち捨て、あるいは大切なひとさえも傷付けることになるかもしれない。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい
Amazon本紹介
『流浪の月』は、2020年本屋大賞 大賞に輝いた、誘拐事件の被害者と加害者の関係を描く小説です。
10歳で母親を失い、孤独な生活を送っていた更紗(さらさ)は家を飛び出し、大学生 文(ふみ)の元に身を寄せる。やさしいフミとの暮らしで、これまでの抑圧が解放され、自分の自宅にいるかのように自由に振舞う更紗。これまで、一人で暮らしていても厳しい母の躾に基づき生活していた文にとって、更紗の自由奔放さは新鮮であり、安らぎ。2人はとても心地いい生活を続けていた。
しかし、そんな二人の関係は、世間的には「女児誘拐」の被害者と加害者。フミの行動は社会的には許されるものではなく、2か月後、二人は警察に発見され、文は誘拐犯として逮捕されてしまう。
何の言い訳もすることなく、女児誘拐の罪を受け入れた文。それから15年後ー再び偶然に出会った二人は、それぞれの傷を抱えながらも、再びつながり合うことを選ぶ。そんな彼らを苦しめたのは、償っても消えることのない「女児誘拐という罪」に対するバッシングだった…
人は分かり合えるのだろうか? 特別な人との人との深いつながりを描く一方で、著者は、薄っぺらな善意、さらに、人を人とも思わない容赦ない世間の冷たさを描く。さらに、人を不幸にする社会問題が折り重なり、読者は「面白いとは違う何か」に、惹きこまれます。
作品の作者は凪良ゆうさん。独特な世界観と深い心理描写で読者を引き込む作品が多く、本作でもその特徴が際立っています。
2022年、出演・広瀬すずさん、松坂桃李さんで映画化されていますが、映画では本作の繊細で深い心理を描き切れていません。小説で読んでこそ、本作の良さがわかります。
- 繊細な心の描写が描かれる作品が好きな方
- 社会派小説が好きな方
- 映画を見たけど、イマイチだと思った方
『流浪の月』:読書感想 ※ネタバレ含む
※以下感想は、はネタバレを含んでいます。未読の方は注意して下さい。
作家:凪良ゆうさんについて
凪良ゆうさんは、その独特な世界観と深い心理描写で読者を引き込む人気作家です。本作でも、以下の特徴が際立っていると感じました。
- 心理描写の細やかさ
- 登場人物の設定(背景)
- 複雑な人間関係、緻密なストーリーテリング
- 社会問題にもアプローチ
まず、最初に、登場人物の内面を緻密に描写する力が凄い。登場人物の「痛み」がひしひしと伝わってきます。
さらに、単純なストーリー展開ではなく、犯罪・デジタルタトゥ・DV・性暴力など社会問題も織り交ぜて、「生きづらさ」を読者にも訴えかけるように描いています。
容赦のない世間
あなたとともにいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。私を心配するからこそ、だれも私の話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。
文と更紗は、友達でも、家族でも、男女でもない、本人たちもうまく説明できない関係でつながっています。それを「真の理解」と呼ぶかはわかりませんが、それでも二人だけが共有している世界があります。
しかし、世間は二人をどう見るかー。それは、「幼児誘拐の被害者と加害者」です。文は刑期を終えても消えることなく、世間のやり玉にされる存在。一方、更紗は、大人になっても加害者に洗脳されている哀れな人です。
一度ついてしまった「社会的レッテル」は、生涯彼らを追い詰めます。人に迷惑をかけることなく静かに暮らしたくても、世間はそれを許してくれません。見知らぬ地へ逃れても、再び、デジタルタトゥのえじきとなり、流浪生活を余儀なくさせられます。
多くの人は、人を故意に傷つけたいとは思っていないと思います。私もそんな一人です。しかし、自分の身の回りに犯過去の犯罪者がいると知ったとき、全く変わらず接することができるか?
自分も簡単に「容赦のない世間」になってしまう可能性があることをひしと感じました。
善意というもの
せっかくの善意を、わたしは捨てていく。そんなものでは、わたしはかけらも救われない。
更紗は世間では「幼児誘拐の被害者」です。しかし、真実は、文は、居場所がない更紗をかばっただけ。確かに文は大人の女性を愛せない人ですが、更紗を「女児可愛さ」に誘拐したわけではありません。むしろ、従兄弟による性的暴力から更紗を救った人です。更紗は警察で、文に罪はないことを訴えましたが、従兄弟からの性的暴力が家出の原因だったことが言えなかったことで、文を犯罪者にしてしまいました。故、更紗は「文への罪意識」を抱いて生きてきました。
しかし、そんな更紗に対して、世間は、更紗にとって的外れな「善意」で接します。「彼と一緒にいてはいけない」と。更紗にとっては、「せっかくの善意」は、苦痛でしかありません。
善意で接する人は、それが良いことだと思って接しています。しかし、それが、時として、相手のマウントを取ることにつながっていることもあります。
白い目というものは、被害者にも向けられると知ったときは驚愕した。いたわりや気配りと言う善意の形で『傷物にされたかわいそうな子』というスタンプを、私の頭から爪までぺたぺたと押してくる。みんな優しいと思っている。
上記セリフにもはっとさせられます。『かわいそうな子』という言葉自体が相手のマウントを取る言葉です。無意識に相手を見下しながらも、表面は善意を振りまきます。私たちはこのようなことを、無自覚にやってしまいがちなことを、覚えていなければなりません。
『流浪の月』:心に残った名言・名セリフ
このストーリーはフィクションです。しかし、単なるフィクションでは片づけられないモノを感じてしまうのは私だけではないはずです。
苦悩して生きる人の「リアル」が、小説から押し寄せてくる感じがするのです。以下、そんなセリフをいくつか紹介します。
「世間」というもの
おまえ、誘拐されてる間、いろいろされたんだろう。孝弘のあの言葉は、なかなかに世間というものの正体を表していたのだ。
世間とはなんとも厄介なものです。言葉にするかどうかは別として、多くの人は、こんな風に考え、相手を哀れんだり、さげすんだりします。
孤独の自己矛盾
わたしの中には冷たく固まった部分があって、本当の意味では誰ともつながれない人間なんじゃないかと思っている。努力してもなんともならない部分が壊れているのだと。それはもうどうしようもないと受け止める一方で、人の営みからはじき出されている、という悲しみも抜けきらない。矛盾と孤独感。
「そうだよ。でも、やっぱり、ひとりは怖いから」ひどく素直な告白だった。ひとりのほうがずっと楽に生きられる。それでも、やっぱりひとりは怖い。神さまはどうしてわたしたちをこんなふうに作ったんだろう。
1人は自由で楽。自分を他人にさらけ出すことも難しい。しかし、それでも、孤独の恐怖は付きまとう。
それは、人は太古の昔、人は一人で生き延びることが不可能だったから。村八分は死を意味したから。現代社会では、分業が進んで一人でも生きていけるようになったけど、「孤独」という恐怖はやっぱり拭いきれません。たとえ、それがどんなに強い人でも。
今が不幸みたい
昔は楽しかったなんて思っちゃいけない。だって今が不幸みたいじゃないか。
「昔は楽しかった」。使ってしまいがちな言葉です。でも、このセリフの通りですね。現在の私は「昔は楽しかった」という言葉を使うことはほとんどありませんが、もっと歳をとるとどうなるかわかりません。ふと、口から出そうになったとき、この言葉を思い出したいです。
最後に
今回は、凪良ゆうさんの『流浪の月』の感想を紹介しました。
良い作品は、読者に多くを考えさせます。そして、多くを学ばせます。本作も、「人とのつながり」「社会の在り方」について、いろいろ考えさせられました。是非、本書を手に取り読んでみてください。