- 和泉式部が、自らの恋愛談を綴った自伝的日記。冷泉天皇の第4皇子「敦道親王(あつみちしんのう)」との恋愛の回想録
- 和泉式部は魔性の女&スキャンダラスな女。天皇の2人の息子と深い仲に。しかも、親王と取り交わした和歌・逢瀬なども日記で公開。暴露本!
- 時代を超えても変わらない、男女の恋愛が描かれる
★★★☆☆
『和泉式部日記』ってどんな本?
『和泉式部日記(いずみしきぶにっき)』 は、千年前の美しくもはかない恋のお話。
和泉式部が、自らの恋愛談を綴った自伝的日記です。冷泉天皇の第4皇子「敦道親王(あつみちしんのう)」との恋愛模様を回想して描いています。
恋の物語は、恋人を亡くし、深く悲しむ場面から始まります。
そもそも、和泉式部は夫と子がいました。しかし、夫に裏切られたことで、冷泉天皇の第3皇子「為尊親王(ためたかしんのう)」と身分の違いを超えた禁断の恋に身を投じてしまいます。しかし、ほどなく親王は急逝。しかし、その後、ほどなく、冷泉天皇の第4皇子にして、為尊親王の弟・敦道親王と再び禁断の恋に落ちていくのです。
身分不相応な高貴な身分の方と、恋・逢瀬を重ねる和泉式部。どのように、和泉式部は高貴な男性を射止めていったのか、女性なら彼女の恋の秘密を知りたくなるに違いありません。
角川ソフィア文庫の ビギナーズ・クラシックス 日本の古典『和泉式部日記』では、和泉式部が執筆した【原文】を【現代語訳】【寸評】で解説。特に【寸評】は秀逸!日記の読みどころや時代背景などがわかりやすく解説されます。
平安時代の恋愛は、かなかか自由。NHK大河ドラマ「光る君へ」の視聴者なら、現代とは異なる「平安時代の恋愛」をより面白く楽しめるはずです。
- 平安時代の恋愛を知りたい方
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和泉式部日記:読みどころ
『和泉式部日記』は回想録。日記は、和泉式部が最愛の為尊親王を失くし、悲しみに暮れている場面から始まります。和泉式部の元に、敦道親王に従える童が「文」を持ってきたことがきっかけで、深い仲に進展していきます。
和泉式部日記:「背景」
和泉式部は、中流貴族の出身で、中宮・藤原彰子に使えた女房。紫式部や赤染衛門とは同僚です。
まずは、和泉式部が日記を書くに至る背景を押さえておきましょう。
年代 | |
---|---|
1001年ごろ | 和泉式部、為尊親王と恋仲に |
1002年 | 為尊親王が亡くなり、和泉式部は深い悲しみに暮れる |
1003~1004年 | 何通も文をやり取りし、逢瀬を重ね、深い仲へ | ある日、和泉式部は、敦道親王(為尊親王の弟)から文を受け取る
1007年 | 敦道親王が亡くなる |
1008年 | 和泉式部日記を書き始める |
親王とは、天皇の嫡出男子や嫡男系の嫡出男子に与えられる皇族の称号です。一方、和泉式部は中流貴族の娘。普通なら「親王」は殿上人であり、とても、お付き合いできるような身分の方ではありません。
そんな天皇の息子、しかも兄弟二人と身分の差を超えての男女の仲になるとは、社会的ルールの範囲を越えた「禁断の恋」。宮中を揺るがす大スキャンダルです。しかも、敦道親王とやり交わした和歌や、重ねた逢瀬を綴った暴露本までを書き記し発表しまうのですから。なんとも凄すぎます。敦道親王を慕って想い出を忘れないように綴られたものだとしても、芸能人の不倫の暴露本よりスゴイですね。
和泉式部日記:「登場人物相関図」
背景を理解するには、登場人物の相関図を見ると分かりやすい。
和泉式部が愛を深めた二人の親王は、冷泉天皇(第63代)の子どもであり、花山天皇(第65代)の兄弟です。冷泉天皇は奇行が目立つヤバイ天皇、花山天皇も藤原兼家に騙されて出家するなど、クセのある天皇です。花山天皇は『光る君へ』でも登場していたので、覚えている方は多いのではないでしょうか。
また、紫式部は藤原道長の娘・中宮彰子に仕えた女房。下図で、藤原家との関係も押さえておきましょう。
和泉式部と敦道親王:いかに恋を深めたか
一人の童が持ってきた文から始まった、和泉式部と敦道親王の恋。為尊親王の死を悼むもの同士は心を通わせていきます。
男女のやり取りは、童が運ぶ「文(和歌)」、または、夜お忍びでの「密会」。そんな中で交わされたやり取りが、赤裸々に記されています。
情熱的に見える和泉式部ですが、2人の恋は、一直線にヒートしていったわけではありません。
- (互いに)なかなか進展しない恋にヤキモキしたり、
- (互いに)気になってしょうがないのにはぐらかすような返事をしてみたり、
- 和泉式部は2度目の身分不相応な恋で周囲に揶揄されるのを恐れたり、お付き合いをすることで、親王の評判を貶めてしまうと気づかい、心にもないつれない対応をしてみたり…
距離が縮まったかと思えば、再び離れたりと、揺れ動きます。
高貴な人であっても、自分の思うようにはならない恋愛。そんな様は、現代の恋愛と変わりません。
一方で、現代人は電話・SNSですぐに相手の反応を伺うことができますが、平安時代の恋愛はそんなわけにはいきません。平安の男女は、次の文が来るまでの長い時間、「あの方はどんな気持ちでいるのだろう」と、現代人以上に、募る恋心を深めたに違いありません。
現代人は、LINEでちょっとの間も「未読」「既読スルー」を許さない人がいますが、そんな方は、「相手を想って待つ」ことも大切にしたいですね。
魔性の女:和泉式部
スキャンダラスな女
天皇の二人の息子と恋仲になった和泉式部。先に記したように、和泉式部の恋愛は、大スキャンダルです。
また、和泉式部が詠んだ和歌から、関係を持った男性は10人以上いたと考えられており、敦道親王も和泉式部宅に夜に通って、他の男性とバッティングしないかと、懸念しています。天皇の息子という立場もあったモノじゃありません。
当然宮中のスキャンダル。中宮・彰子サロンの同僚である紫式部、彰子の父である藤原道長も和泉式部の恋愛に苦言を呈しています。紫式部は『紫式部日記』の中で、「和泉式部は即興の文才のある人で、歌は見事だけど、素行が良くない」と評しています。
和歌がうまいことが「モテ女」の条件
平安時代、貴族の女性は家族以外の男性に顔を晒すことは許されない時代。容姿がモテの条件ではありません。
持てる条件はズバリ「和歌」。優れた和歌を詠むことができる女性は、より良い結婚相手と巡り合うことができました。和歌を詠むには高い教養も必要であったでしょう。
百人一首に選ばれている和歌も、「女心」を歌っています。本当に「感性」に優れた人で、男性の心をわしづかみにしてしまったのでしょうね。
【百人一首】あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな
わたしはもうすぐ死んでしまうでしょう。わたしのあの世への思い出になるように、せめてもう一度だけあなたにお会いしたいものです。
最後に
今回は、『和泉式部日記』の内容、日記が描かれた背景を紹介しました。
恋愛がテーマの本作は、1000年たっても男女の恋心は変わらぬものであることを教えてくれます。平安時代の日記・随筆は実に面白いものが多いです。是非、興味を持って、読んでみて頂けたらと思います。