- 「ちゃんと生きたい」焦燥
元自衛官のサクマ。自由な働き方を選びながらも、「会社員・結婚・将来設計」など“ちゃんとした人生”への焦燥から抜け出せず、常に不安と苛立ちを抱えて生きている男を描く。 - 制御できない怒りが、人生を一瞬で壊す
サクマは突発的な暴力衝動を抑えられず、人を傷つけ刑務所へ。本人ですら理由が分からない怒り(思考)はまさにブラックボックス。 - 読了後に深い問い
完全に管理された刑務所を、サクマは皮肉にも「ちゃんとした場所」と感じる。自由は本当に人を幸せにするのか――現代社会の価値観を静かに揺さぶる一冊
★★★★☆ Audible聴き放題対象本
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ずっと遠くに行きたかった。
今も、行きたいと思っている。
砂川文次『ブラックボックス』は、そんな一文が胸にぐっと刺さる小説です。
主人公・サクマは元自衛官。
いまは都内を走り回る自転車メッセンジャーとして生計を立てています。
体を酷使すればするほど稼げる完全歩合制。合理的で、自由で、どこか都会的。
けれど、その走行音の内側で、サクマはずっと「ちゃんとしなくちゃ」という焦燥を抱え続けています。
本作は主人公サクマを通して、「自由こそが幸福」とされる現代社会で人々が抱える焦燥や爆発的な怒り、そして〈自由は本当に人を救うのか〉という問いを突きつけます。
✅ こんな人に刺さる1冊
- 怒りや衝動をうまくコントロールできずに悩んでいる人
- 「ちゃんと生きなきゃ」と思い続けて疲れている人
- 社会派・心理描写の深い小説が好きな人
あらすじ:「ちゃんと生きたい」のに、できない焦燥の果てに…

「ちゃんと生きたい」のに、できない
会社員になるべきか。
結婚すべきか。
税金も、将来も、人生設計も――「ちゃんと」しなければならないことは分かっている。
けれど、サクマはどれも決断できない。
恋人と同棲していても、そこに安らぎはなく、残るのは孤独だけ。
仕事は自由だが、すべてが自己責任。いつか体が壊れれば終わる。
「ここではないどこかへ行きたい」という逃避と、「ちゃんとしなくちゃ」という義務感が、頭の中でぶつかり続ける。
この感覚に、覚えがある人は少なくないはずです。
暴発的暴力衝動が抑えられず、「刑務所」へ
しかし本作は、内省的な社会小説のままでは終わりません。。
ある日、サクマは暴発的な暴力衝動によって、税務署職員と警察官に重傷を負わせ、刑務所に収監されます。
本人ですら、なぜ殴ったのか分からない。
気づいたときには、すべてが終わっている。
サクマは、過去にも「一瞬で着火してしまう暴発的暴力衝動」により人生を狂わせてきました。
サクマにとって、自分自身が「何が飛び出すか分からない箱」=ブラックボックスなのです。
刑務所は「ちゃんと」している場所だった
皮肉なことに、サクマは刑務所で気づきます。――刑務所は、「ちゃんと」ある場所だ。
起床、作業、食事、就寝。すべてが厳密に管理され、逸脱は許されない。
自由はない。だが、迷いもない。
「自由こそが幸福」とされる現代社会で、自由を持て余した人間が、完全に管理された場所に安堵する――
この逆説が、本作を強烈な読後感へと導きます。
『ブラックボックス』:感想・考察

「ブラックボックス」が意味するもの
タイトルの「ブラックボックス」は、二重の意味を持っているように思えます。
ひとつは、サクマ自身。
怒りがどこから生まれ、なぜ制御できないのか分からない、不可解な自己。
行動は目に見えても、その思考回路は常にブラックボックスです。
もうひとつは、社会そのもの。
他人の思考も、善意も、悪意も見えない世界。「ちゃんとした人間」だけが正しく評価される不透明な構造。
サクマが衝動的な怒りに襲われ、刑務所送りになった原因も、「ちゃんとした職業」を象徴する税務職員調査官が、納税督促訪問で見せた、人を蔑むような「薄ら笑い」がきっかけでした。これに似た蔑みを、多くの現代人が日々感じ、焦燥と苛立ちを感じているはずです。
私たちは、そんなブラックボックスの中で、理由が分からないまま、結果だけを引き受けて生きているのです。
自由は、本当に人を救うのか
本書が静かに、しかし確実に突きつけてくる問いがあります。
- 自由は、すべての人を幸せにするのか
- 「ちゃんとできない人」は、どこへ行けばいいのか
- 管理と不自由は、本当に悪なのか
答えは提示されません。だからこそ、読後も考え続けてしまう。
これこそが、第166回芥川賞受賞作たる所以でしょう。
現代社会では「自由がよし」とされます。
たしかに、自分で考え、自分で自己をコントロールし強い意志で行動できる人にとっては自由は素晴らしい。
しかし、世の中の大半の人は、自分で考え、決断し、行動に移すこと、自己をコントロールすることが苦手です。
社会では、指示待ちの方がラクな人、自分のこととなると決断を後回しにしてしまう人で溢れています。
あなたはどう? 本書は、読了後もなお、読者に深い問いを残し続けます。
最後に
砂川文次さんの『ブラックボックス』。
都会的でスタイリッシュな導入から始まり、気づけばまったく別の場所へ連れていかれている。
「ずっと遠くに行きたかった」サクマ。
そして読者もまた、この小説によって、思いもよらない場所まで運ばれていきます。
今、自分はどこに立っているのか。何を「ちゃんと」できていて、何ができていないのか。
自分のことを考えるきっかけにもなる1冊です。
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