- 安らかな死を迎えるために読んでおくべき「死に方の教科書」
- 在宅診療医として多くの患者を看取った久坂部羊さんが、「人の死」をリアルに描く
- 私たちは、死の現実を知らない。故、辛い死に方をしてしまう
安らかな死には、事前知識と心の準備が必須。生き方も考えさせられる
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人はどう死ぬか
『人はどう死ぬのか』は、人が必ず迎える「死」に対して、深い気づきを与えてくれる「死に方の教科書」とも言える本です。著者の久坂部羊さんは、長く在宅医療や終末期医療に携わってきた医師です。多くの患者を看取った経験をもとに書かれた本書には、『死のリアル』『死の受け入れ方』『上手な最期を迎える方法』など、とても大切なことがまとめられています。
私はこれまで、複数の「死に関する本」を読んできましたが、その中でNo.1です。
死は、練習もやり直しもできません。家族や自分の死が間近に迫ったとき、最良の方法を選び、亡くなったあとに悔いを残さないようにするには、死のリアルを知ることが極めて大切です。
残念ながら、目にしやすい情報・メディアでは「死の本当のリアル」は報じられません。耳ざわりがよい安心情報ばかりが喧伝されています。死の現実を知らないことが、つらい死、不幸な死を選択させています。まずは、死のリアルを知ることが大事です。
以下、本作からの学び・感想をまとめます。
著者・久坂部羊 が本書で最も伝えたいこと
私なりに、著者・久坂部羊さんが読者に最も伝えたかったことを、簡潔にまとめます
- 人は必ず死ぬ
- 自殺を除き、人は死に方は選べない。無暗に悩むのは、自分を苦しめるだけ
- 死の間際、医療にできることは何もない。延命処置は、患者を苦しめる
- 上手な最期を迎えるために最も大切なのは、死を受け入れること。拒むほど心身両方の痛みは強くなる
本書の中で何度も繰り返し述べられることの一つが、「医療は人の死をどうすることもできない」ということです。
酸素マスク・カウンターショック・心臓マッサージなどの蘇生は、形だけの「儀式」であり、いわば、「遺族が納得するための措置でしかない」ということです。その時、本人は意識があるかはわかりませんが、身体的には「痛み」でしかありません。
医療の現実、死のリアルを知ることが、『自分と家族の最期』に極めて大切なことを教えられました。これを知れば、お金の心配も減るでしょう。
以下では、上記まとめを補足するポイントを紹介していきます。
「死のリアル」を知る
人の死は、「呼吸停止」「心停止」「瞳孔の散大」の確認で行われます。この3つが揃うと、人は死んだと判定されますが、死の直前、人の身に何が起こっているでしょうか?これを知ることが、むやみな延命治療を防げぎます。
死の間際、医師にできることはない
突然死・即死は別として、死はまず昏睡状態からはじまります。完全に意識がなくなって、呼びかけにも痛みの刺激にも反応しない状態です。
- 一切の表情が消える(穏やかそうに見える)
- エンドルフィンやエンケファリンなど、脳内モルヒネが分泌される(これにより、心地よくなると言われる)
- 昏睡に陥って魔もナウ、顎を突き出すような呼吸「下顎呼吸」が始まる
- その後、数分から1時間前後で死に至る
下顎呼吸が始まったら、蘇生する可能性はゼロ。 理由は、下顎呼吸は呼吸中枢の機能低下の表れであり、こうなると、酸素を吸わせても意味がなくなるからです。死というものを知らない家族は医師に助けを求めますが、医師ができることはありません。しかし、医師は儀式的に、心臓マッサージをはじめ、処置のパフォーマンスを行います。
なぜ、助からないのに処置を行うか。それは、「家族を納得させるため」です。何も処置しないと、家族に批判され、場合によって、SNSなどで「何もしてくれなかった」と誹謗中傷されることにもなりかねません。
医療の進歩が生み出した「苦しみ」
医療の進歩は救える命を増やした一方で、直らない病気を無理に直そうとする延命治療で苦しむ人を生み出しました。
「死の準備」がないと、延命治療機器を体に取りつけられて、もはや生きているとは言えない状態は簡単に起こります。それは、一旦、病院に運び込まれれば、延命治療を望まぬ人に対しても、わずかでも助かる見込みがあるなら、医師は治療を施すからです。この「わずかな助かる見込み」が厄介なのです。
過剰な延命処置をしない方が幸せ
治療・入院しないほうが、早く死ぬかもしれないけど、生活の質(QOL=Quality of Life)が高くなります。
寿命がある程度予測できる「がん」はその代表です。十分高齢なら、死を受け入れ、治療はやめ、モルヒネで痛みのみ取り払ってもらった方が、穏やかに最期を迎えられます。(死に向かいつつある人に麻薬中毒を心配するのはナンセンス。麻薬が恐いというのも単なるイメージ)。
そもそも、昭和の初めごろまで、多くの人は自宅で死んでいました。しかし、日本は「国民皆保険制度」で治療費を何とか工面できてしまうため、すぐに病院を頼ります。さらに、心配性と言う国民性も災いしています。結果、人は死ぬという当たり前から目を背け、死を忌み嫌い、最先端医療へすがってしまっているのです。
人は死に方を選べない
人は、自殺を除き、自分の死に方は選べません。
人は、死ぬ直前場で元気でポックリ死ぬことを望みます。確かに、元気で活躍する超高齢者はいますが、彼らも体のあちこちにはガタが来ています。また、「ピンピンコロリ」で死ねるのは、健康に気づかっていた人ではありません。
コロリと死ぬのは、若いうちから不摂生をしてきた人が、心筋梗塞や脳卒中で死ぬときです。若いときから健康増進に努めてきた人は、ピンピン、ダラダラ、ヨロヨロヘトヘトになっていくのが現実だそうです。また老衰も楽な死に方とは一概には言えません。
死の恐怖とは何か
「死の最大の恐怖」は、死んだらどうなるかわからないからです。この状況は今も昔も同じ。しかし、先進国では医療が進めば進むほど、病気・死への不安が増大しています。
「死の恐怖」の裏にある、医学の進歩
医療が進歩した先進国ほど、死への恐怖が増大してしまう理由は、死に接する機会が少ないからです。
かつて人々が家で死んでいたころには、家族の死は身近にありました。若い人が先に死んでしまうことも良くありました。そのため、もっと死が身近で、どのように死にいるかを「目」で見ていました。しかし、現在は、死に場所が病院になったことで、死を知らない人が大半です。
死ねないことの恐怖
死ぬのが恐いというのなら、死ななければ恐くないのでしょうか。
もし、「人類、皆、不老不死」になったら、どうなるでしょう?この地球はどうなるか、考えてみてください。地球は人で溢れ、地球は地獄と化します。もし、このような状況が回避できたとしても、退屈で、ストレスだらけの毎日が続くとしたら?
不老不死で、老いもせず、何の憂いもない状態が続くという設定は、あほらしいほど都合のいい設定でしかありません。「死なないことのリアルな恐ろしさ」から目を背けているご都合主義にすぎません。
「生きろ」という励ましも恐怖
「生きろ」と言う励ましは、ときに「死ね」と言うより残酷です。助かる見込みもないのに、本人の意思とは別に家族が延命治療を強要するのは、家族のエゴに過ぎません。
「死に目に立ち会う」より大事なのは、普段の生活における意思疎通です。死に目に「ありがとう」「愛している」といっても、本人はわかりません。普段から今を大事にし、大切な身内や友人と会話し、感謝を示して接する方が圧倒的に大事です。
〝上手な最期〟を迎えるには
人は、考えれば考えるほど不安になり、痛いと思えばさらに痛く感じる生き物です。これは、死に対しても同じです。死の恐怖を和らげる方法は、死のリアルを知り、死を受け入れ、死の恐怖に慣れることです。
死の恐怖はいろいろですが、死ねば恐怖を感じる自分もいなくなります。恐れているのは、「死を意識している自分」です。
死を拒絶しない。受け入れる
人は苦しみや恐怖から目をそらしがちですが、大体ろくなことになりません。最後にツケを払わされます。
「死」に関しても、怖いからと避け続けるといいことはありません。著者は、経験上、死を受け入れない人ほど、強く痛みを感じたり、恐怖で苛まれて苦しむのを何度も見てきたと言います。
死ぬときはある程度は苦しいものだと、今から覚悟を決めておくほうが、落ち着いて最期を迎えられます。死のリアルを知り、死を受け入れ、人生をどううまく仕舞うか、先に考えておく必要があります。
無理に直そうとしない。高度治療は受けない
繰り返しになりますが、医療は死に対しては無力です。人は絶対に死にます。
無理に直そうとしないことです。特に、ある程度、歳をとった後になったがんなら、「病気と共存する生き方」を模索した方が、穏やかに死ねます。いつまでも治療に執着していると、せっかくの残された時間を、つらい副作用で無駄にする危険性が大です。
病院死より在宅死。最後に救急車を呼ばない
病院は、患者が来たら検査・治療をせざるを得ません。少しでも助かる可能性があるなら、患者・家族のため、病院の保身のために治療を施します。
本人が超高齢者や末期がんで、在宅ケアを希望し、実際、在宅ケアをしていても、家族が痛がる本人に耐えられず、救急車を呼んでしまったら最後、延命治療のベルトコンベアに乗せられることになります。
土壇場で慌てず、病院に行かずに死を迎えるには、最期が遠いうちから、死を意識して備えておくことが必須です。家族との意識合わせも怠ってはいけません。
新・老人力:老後の自己肯定感UP法
歳をとると、若い時にできたことができなくなります。このような自分を悲観しないように、老後の自己肯定感を上げる方法を知っておくことが大事です。考え方のスイッチです。
- 記憶力が悪くなったら「忘却力」:嫌なことが忘れられると考える
- 効率的に思考・行動できなくなったら「のんびり力」:効率に支配されなくて済む
- その他いろいろできなことが増えたら「あきらめ力」「受け入れ力」
- 現状に対する「満足力」「感謝力」
このように、自分に対する期待値を下げ、ポジティブに考えると自己肯定感は上がります。逆に、期待値を下げないと、不平力、怒り力、嘆き力、心配力、自己中力、嫉妬力、被害妄想力などの、嫌がられる老人まっしぐらです。
なお、「新・老人力」を発揮するためにには、若いちから、欲望や不満をコントロールする努力をしておくことが必須です。
足るを知る「求めない力」
人は求めすぎると不幸になります。様々な問題や悩みやもめ事も、すべては何かを求めることによって発生します。故、「求めない力」、足るを知るを知り、感謝することが大事です。
深い感謝の気持ちを常日頃から持っていれば、不平も不足も不満もかすみます。一方で、自分に与えられた多くの恵みや親切に気づき、穏やかな気持ちで毎日を過ごせます。これは、老人に限ったことでなく、よりよく生きるために大切なです。
求めない──すると
いまじゅうぶんに持っていると気づく
求めない──
すると
求めたときは
見えなかったものが──
見えてくる
求めない──
すると
命の求めているのは別のものだ
と知る
求めない (小学館文庫 ) より
ホント、その通りです。心に刻んでおきたいフレーズです。
最後に
今回は、久坂部羊さんの『人はどう死ぬのか』からの学びをまとめました。
死について深く考えさせられる一冊となりました。自分の人生の最後に、自己肯定と感謝の気持ちに満たされて、穏やかに死ぬ術が見つかりました。ただし、それには準備が必要なことも。
本書で紹介した内容は一部に過ぎません。是非、本書を手にとり、自分の人生の糧として頂けたら幸いです。