- プロポーズをされた翌日、恋人が盗撮で捕まった。あなたはその関係を続けられるか―
共感・嫌悪感、違和感。そして、自分ならどう考えるかー多くを読者に問う、2025年本屋大賞にミネート - 多くの人の心情が丁寧に描かれる。一つの罪が、本人、そして、周囲の人生をどう変えるか、現代社会と罪のリアルが迫りくる。
- なぜ、本作は読者を深く考えさせるのか?著者・一穂ミチの作品の特徴を考察
★★★★★
Audible聴き放題対象本
『恋とか愛とかやさしさなら』ってどんな本?

プロポーズをされた翌日、恋人が盗撮で捕まった。あなたならどうしますか?
一穂ミチさんの『恋とか愛とかやさしさなら』は、2025年本屋大賞にノミネートされた作品です。
物語は、カメラマンの関口新夏(にいか)が、5年付き合った恋人・神尾啓久(ひらく)からプロポーズされた翌日、彼が女子高生の盗撮で逮捕されるという衝撃的な出来事から幕を開けます。
盗撮は初犯であり、大事には至らず、示談も成立。しかし、それでも二人の関係は根底から揺らぎ、新夏と啓久の家族、そして被害者の家族までもが、否応なく事件に巻き込まれていきます。
女性の視点から、
即刻、彼と別れるか、それとも、罪を許し、彼の今後を信じるのか―
自分だったらどうするだろう?と考えることなく読むことはできません。
また、男性の視点からも、
罪を背負い、負い目を抱く恋人と結婚して、幸せは築けるのか?
罪はいかに人生につきまとうか。どう人生を苦しめるのか?
誰もが、自分の人生を考え、また、“償いと赦し”について、真摯に向き合わざるを得なくなります。
本作で「盗撮」という社会的制裁が強く求められるテーマを題材としていますが、視点を誰しもが持つ「負い目」や「罪悪感」、そして「触れられたくない過去・禍根」に広げれば、「名もなき罪を背負いながら、どう生きていくか」というテーマを描いているとも言えます。
2024年に直木賞を受賞した前作『ツミデミック』では、「ハンデミック×犯罪」というテーマのもと、普通の主婦やフリーター、中年男性などが“環境の変化”によって罪に手を染めていく姿が印象的に描かれました。本作でもその視点は健在で、「罪」が人の心と人生にどう影を落とすのかが、丁寧に、そして、容赦なく描き出されています。
「自分ならどうするのか?」と何度も立ち止まりたくなる一冊。読後にすっきりする物語ではありませんが、読んだ人の心に何かを確かに残していく作品です。
登場人物の心情に寄り添いながら、その葛藤や弱さに、読む側もまた試される――一穂ミチという作家の筆力が、改めて浮き彫りになる一作です。
『恋とか愛とかやさしさなら』あらすじ

カメラマンの新夏は啓久と交際5年。東京駅の前でプロポーズしてくれた翌日、啓久が通勤中に女子高生を盗撮したことで、ふたりの関係は一変する。「二度としない」と誓う啓久とやり直せるか、葛藤する新夏。啓久が”出来心”で犯した罪は周囲の人々を巻き込み、思わぬ波紋を巻き起こしていく。
信じるとは、許すとは、愛するとは。
男と女の欲望のブラックボックスに迫る、著者新境地となる恋愛小説。
新夏が事件を知るのは、プロポーズの翌朝。啓久の母親からの電話でです。啓久は逮捕は免れ、被害者との示談交渉へと進み、事件が表沙汰になることは回避されました。しかし、新夏・啓久とその家族らの関係は一変します。
事件が比較的軽微だったことを理由に、啓久との結婚を望む啓久の母。
一方で「今すぐ別れるべき」と断言する、現実的で厳しい啓久の姉・真帆子。
「盗撮は衝動的であったこと」「コスパが悪いから、もうやらない」と、反省の色が薄い啓久自身の言葉。
そして、「こんなことで別れる必要ある?愛情って、総合的なものでしょ」と語る親友・葵の助言。
さまざまな声に囲まれながら、新夏の自問自答の日々が始まります。
5年という月日を共に過ごし、結婚を約束した相手との未来をどうするか。
信じてきた人を、これからも信じ続けられるのか。信頼の先に「家族」が築けるのか――。
本作は、そんな葛藤を抱える新夏の内面の揺れ動きを、繊細かつ丁寧に描いていきます。
しかし、物語は、単なる“被害を受けた側”の視点にとどまりません。物語の後半では、新夏と別れた啓久の側に視点が移り、今度は「罪を背負った人間の罪と共に生きていく姿」が描かれていきます。
事件を境に、啓久の人生は大きく書き換わりました。
転職、引越し、利用する駅さえ変えたある日。半年ぶりに、被害者。小山内莉子と再会します。
あの時と同じように、肩を叩かれる――まるで時間が巻き戻されたかのように。そして、啓久は“同種の犯罪を犯した人が集う会”に参加するようになります。
「この行動は、自分の人生を“アウト”にしてしまうのではないか――」
そんな不安が脳裏をよぎり、心穏やかに暮らせなくなった啓久。その内面の葛藤が静かに、しかし鋭く描かれていきます。
あの日を起点に人生が書き替わり、枝分かれしたルートは全部あの朝につながっている。
それまでの30年はなかったのと同じだ。と、時々思わずにはいられない。
被害者・小山内莉子も心に傷を深い傷を抱えています。彼女は、子どもを商品として扱うことに罪悪感を持たない家庭で育ち、また、容姿に対し強いコンプレックスを抱えています。そうした背景がある故、啓久に対して、ある種「歪んだ償い」や「許し」を求めます。
その「許し」がどのような形をとるのか―― ぜひ、物語の中で確かめてみてください。
『恋とか愛とかやさしさなら』感想

前半は新夏の視点から、後半は啓久の視点から描かれる本作。そこにあるのは、単なる共感ではありません。
多くを問われる作品
前半は
もしも自分が同じような状況に陥ったらどうかー
身近な人間が当事者となったら自分は、相手に対してどういう態度をしてしまうだろうかー
後半は、
(犯罪に限らず)他者・社会との間に残った「禍根」は、いかに人生について回り、人生を苦しめるか―
本作は、本作全編を通じて、これを問わずには読めない本でした。作品は、多くを読者に問うてきます。
一穂ミチさんの小説:じんわりと心に沁みる・考えさせるワケを考察
一穂ミチさんの小説は、心にじわじわ染み入ります。そして、繰り返しになりますが、とにかく、読者に「あなたならどう?」と問うてきます。何作品か読んでみて、共通しているなと感じたのが以下の点です。
- 傷を抱えた人物たちを描く
- 登場人物は、どこかに罪悪感・喪失感、過去のトラウマを抱えている。
- ただし、その痛みは、「ただ単に、かわいそうな人」としては描かれない。静かにそれを受け入れながら生きている
- 日常に潜むリスクを描く
- ドラマチックよりも、リアリティ
- 大事件ではなく、日常の中の小さな変化をきっかけに人生が一変してしまう様を描く
- 「たまたま」「偶然」「衝動的に」と言った、些細な出来事が、登場人物の人生に影響を与える
- 時間が静かに流れ、その中でも心情変化が丁寧に描かれる
- 人間関係の変化を丁寧に描く
- 主人公の目線で一方的に書かれない
- 様々な人の、気持ちが丁寧に描かれる。特に、悶々とした気落ち、揺らぎ、もどかしさの描き方が秀逸
- 様々な意見が交錯させることで、あえて、はっきりとした答えを明示しない。だからこそ、読者は多くを考えさせられる。
一穂ミチさんの小説は、決して派手さを追い求めた作品ではありません。
登場人物は完璧な存在ではなく、むしろ不完全で、迷いや弱さを抱えているからこそ、そして物語の起点がふとした日常や、誰にでも起こり得る小さな罪や変化であるからこそ、読者はそこに強いリアリティを感じます。
心に罪悪感や喪失感、あるいは過去のトラウマを抱える登場人物たちの感情は、声高に語られることはありません。
一穂さんは、登場人物の感情を過剰に説明せず、静かな語り口で淡々と描きます。
感情を過剰に説明しないからこそ、登場人物たちの沈黙や間合いの中に、「言葉にされない想い」が立ち上がり、読者の心に問いを投げかけるのです。「もし自分だったら、どう感じるだろう?」と。
多様性が重視される昨今、本作では「周囲の人がどう考えるか」という複数の視点が丁寧に描かれています。
正解を押しつけることなく、「こういう考え方もある」と静かに提示しながら、最終的に「あなたはどう思うか?」と読者に委ねます。
登場人物たちのセリフや行動の中には、必ずしも共感できるとは限らない意見もあります。ときに軽薄に感じたり、無責任に映ったり、「人としてどうなのか」「親としてそれはどうなんだ」と思わされるような発言も登場します。
しかし、そうしたズレや違和感こそが、現実の社会そのものを映し出しており、物語に深みとリアリティを与えています。
最後に
今回は一穂ミチさんの『恋とか愛とかやさしさなら』のあらすじ・感想を紹介しました。
本作は、読み終えたあとに爽快感が残るタイプの物語ではありません。けれど、静かに揺さぶられ、何度も心の中で問い直す時間を与えてくれる作品です。ぜひこの一冊を手に取り、その“余白”に触れてみてください。
そして、2025年の本屋大賞ノミネート作には、良い作品が多数あります。私は、5冊をAudible聴き放題で読破しました。Audibleを利用すれば、良い作品に格安で触れられます。是非、活用してみて下さい。

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