- 宮沢政次郎は、息子の賢治にどのような思いを抱き、成長を見守ったのかー。全く父の思い通りにならなかった賢治と政次郎の絆を描いた物語。158回直木賞受賞作
- 賢治の純粋な童話・詩の清純なイメージとは異なり、賢治は思い込んだら他人の意見を全く効かない自由奔放な人物だったことに驚かされる。小さな時から父を困らせ続けた。
- 文化人の生き様を知ることが、彼らの作品に対する理解を深める。歴史や社会に対する理解も深まる
★★★★☆
Audible聴き放題対象本
『銀河鉄道の父』ってどんな本?
直木賞受賞作(2017年下期、158回)である門井慶喜さんの小説『銀河鉄道の父』。
宮沢賢治の父・宮沢政次郎は息子にどんな思いを描き、成長を見守ったのかー。
本作は、父と賢治の絆を描いた物語。自由奔放で思い込んだら人の意見を全く効かない賢治、そして、無名だった作家・宮沢賢治を支えた父と家族の愛の物語です。
政次郎は、古着屋を営む地元でも有数の商家の主人。秀才で進学を希望するも、賢治の祖父・喜助の「質屋に学問はいらね」という命に従い進学を断念。家業を継ぎ、ひしと家業を守ってきた人物であり、喜助のように「厳格な父」であろうとしました。
しかし、政次郎は奔放な賢治に振り回されっぱなし。賢治は小さい時は体が弱く病気がち。中学になると成績はがた落ち。そんな賢治に誠二郎は質屋を継ぐように言うが、頑固な賢治は、「もっと世の中の役に立ちたい」といって言うことを聞かない。農民たちの役に立ちたいという賢治の想いを受け入れ、盛岡農林高校への進学を許すも、人造宝石の商売のためにお金の無心したり、日蓮宗にハマったりと、父の思うようには生きてくれません。
さらに、父に襲い掛かる最大の親不孝。賢治の妹・トシが20代で病死、さらに、賢治自身も37歳という若さで病死してしまうのです。
本作は、そんな、愛する息子を見送った父・政次郎の思いをつづった子育て記であり、回想録です。
宮沢賢治という人のイメージは、『銀河鉄道の夜』『雨にも負けず』『永訣の朝』の印象から、真面目で繊細な人物を思い描く人が多いと思います。しかし、裕福家庭育ちで夢見がち、学校では優等生でもなく、一時はニートとなり、お金の無心。一発、商売を当てる夢を描くなど、なかなか、ダメダメな変わり者の賢治が描かれます。日本を代表する文豪・宮沢賢治の印象がガラリと変わる一方で、この家族があったからこそ、後世に残る文学が生み出されたのだと分かる、ヒューマンドラマ小説です。
- 宮沢賢治の童話・詩が好きな方
- 偉人の伝記が好きな方
- 映画『銀河鉄道の父』をご覧になった方
『銀河鉄道の父』感想:❶ 本作の魅力は賢治のイメージとのギャップ
本書を面白く読むに、ざっと、「宮沢賢治」の生い立ちを知っておくことをおすすめします。その理由は、一般的な宮沢賢治の紹介文で知る賢治と、本書のストーリーで描かれる賢治のギャップが本作の魅力だからです。
以下、一般的な「宮沢賢治の紹介」をまとめました。いわゆる普通の紹介文ですが、小説を通じて読むと、とても、賢治が親しみある人に見えてきます。
宮沢賢治の生涯
宮沢賢治は、岩手花巻出身の詩人・童話作家。農業指導者や教育者。作品は、自然や農村の風景を描いたものが多く、独特のファンタジー性があります。
- 生い立ちと教育
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- 岩手県花巻市の裕福な商家生まれ
- 幼少期から文学や音楽、自然に強い興味を持つ
- 1915年に盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)に入学し、農学を学ぶ。この時期に彼の自然観察や科学への興味が深まる
- 1920年代に日蓮宗の信仰に傾倒。貧しい農民たちのために自らの生活を捧げ、農業指導者としても活動
- 1933年、37歳で病死
- 文化活動
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- 日蓮宗に傾倒したことが、賢治のの作品や生き方に大きな影響を与える
- 詩や童話を執筆するも、彼の生前にはあまり評価されなかった。死後に評価が高まる
- 彼の作品はその独特のスタイルとテーマから、死後に評価が高まりました。
宮沢賢治の代表作
- 童話
- 詩
『銀河鉄道の父』感想:❷ トシ・賢治の二人の子の病死
本作の最も、心が痛むシーンは、賢治の妹・トシ、および、賢治自身の「病死」です。二人の愛する子供の死を見送らざるを得なかった政次郎はどんな思いで二人を見送ったかー。
妹・トシの病死
トシの病死は、賢治に大きな傷を残しました。政次郎にとっても、トシはとてもデキた娘でした。
トシの臨終の間際、政次郎は「言い残すことはあるか」と遺言を迫った父を突き飛ばし、「南無阿弥陀仏」を必死で唱えます。トシは何も言い残すことなく息絶えました。
しかし、私たちが知るトシの臨終の間際を詩にした『永訣の朝』はまるで違います。「あめゆじゆとてちてけんじや」、現代語訳で言えば、トシは「雨雪を取ってきて」と賢治に頼んだとあるのです。つまり、この話は創作だとして、政次郎は賢治に憤りを感じます。しかし、その後、政次郎は賢治の作品への見方を変えていきます。どう変わっていくかは、是非、本書で確認してください。
ちなみに、賢治は、「永訣の朝」以外にも、トシの臨終の日の日付で「松の針」「無声慟哭」という詩も読んでいます。本3作は、『春と修羅』にまとめて収録されているので、合わせて読んでみてください。
賢治の病死
賢治も病魔に侵されます。子どもの頃も賢治は体が弱く、政次郎が看病に当たりましたが、再び自宅療養となった賢治の看病に当たります。しかし、「あとで、また」の言葉に安心して一人を残して全員が席を離した間に賢治は息絶えます。
父の思いを聞き入れることもなく、自分の思いのままに生き、親不幸にも親より早くなくなった賢治でしたが、父は「賢治の作品の一番の読者であろう」としました。詩「雨ニモ負ケズ」を父はどう読んだか。この点も是非、本作で確認してみてください。
最後に、「雨ニモ負ケズ」を掲載しておきます。※もともとは漢字とカタカナですが、読みやすさを重視し、「ひらがな・漢字版」を掲載しておきます。
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲はなく
決していからず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きしわかり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し※
寒さの夏はオロオロ歩き
みんなにでくのぼうと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういう者に
私はなりたい南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩
私は、この詩を学校で読んだ時は、宮沢賢治は「とてもまじめなに生きた聖人君主だったのだろう」と思っていました。しかし、本作で、この詩は「そういう者に私はなりたい」という理想であって、賢治自身は、とても奔放で、ダメなところもたくさんある、人間臭い人だったんだなとわかり、宮沢賢治がとても身近な人に思えました。
最後に
今回は、門井慶喜さんの小説『銀河鉄道の父』のあらすじと感想を紹介しました。
伝記はその人の「偉業」「すばらしさ」ばかりが強調されますが、どんな偉人もダメなところはあるはずです。そんな部分を取り上げた本作のような作品を読むと、その人の偉業、賢治の場合は「作品」の見え方も違ってきます。今までとは違う視点を知ることで、作品の味わい方が広がりました。
名著と呼ばれる作品は、作者の人となりを知ると味わい方が変わるー。勉強になりました。
その他、歴代直木賞受賞作も是非読んでみてください。