- バイオレンスの中にある人間ドラマ
暴力の世界で生きる用心棒の女・依子と、暴力団会長の娘・尚子。守る者/守られる者として始まった関係は、やがて暴力に抗うための“共存”へと変わり、二人は命がけの逃亡を選ぶ。 - 暴力について回る、男尊女卑と支配構造
暴力という忌避されがちな題材を通して、本作は犯罪小説の枠を越え、男たちの支配欲や女を所有物として扱う社会構造を鋭く描き出す。 - 歪みながらも切実な絆
暴力を否定しながらも頼らざるを得ない人間の矛盾と、夜の世界を生き延びるための歪で切実な絆。神話〈ババヤガ〉の二面性が重なり、単なるバイオレンスを超えた文学的深みを残す。
★★★★☆ Audible聴き放題対象本
『ババヤガの夜』ってどんな本?

王谷晶さん『ババヤガの夜』は、英国推理作家協会(CWA)主催の英ダガー賞(翻訳部門)を受賞したバイオレンス小説です。
英ダガー賞は、世界で最も権威あるミステリー文学賞の一つ。
評価の基準には、プロットの精度、人物造形の心理的深み、舞台設定・世界観のリアリティ、 そして犯罪小説というジャンルを更新する革新性が挙げられます。
『ババヤガの夜』は、こうした要件を、もっとも忌避されやすい題材の一つとも言える“暴力”を通して成し遂げた作品です。
本作で描かれるのは、バイオレンスの中にある人間ドラマ。
暴力の世界で生きる用心棒の女・依子と、暴力団会長の娘・尚子。
守る者/守られる者としてつながった二人が、やがて暴力社会について回る「男尊女卑」と「支配」に抗い、命がけの逃亡を選ぶ、昼の世界に居場所を持てなかった二人の、生存を賭けた物語です。
正直、本作は万人に受け入れられる物語ではありません。
暴力描写は苛烈。救いも少ない。
それでも、タイトルに冠された〈ババヤガ〉の意味と二人の女性の人生の意味を理解したとき、この作品が「読むべき一冊」であると感じました。
バイオレンスの中に、理解しがたくも深い人間ドラマが描かれています。
『ババヤガの夜』あらすじ──暴力の世界で結ばれる、歪で切実な共存関係
主人公・新道依子(しんどう よりこ)は、暴力と隣り合わせに生きてきた女性。
喧嘩が唯一の趣味で、強さは本物。その腕を買われ、彼女は組織の「用心棒」として働くことになります。
そこで護衛につくことになったのが、関東最大規模の暴力団会長の一人娘・尚子。
常に張りつめた緊張と、冷ややかな観察眼を潜ませた彼女には、親が決めたヤクザの婚約者がいるなど、普通の大学生がもつ「自由」や「選択肢」がありません。
行動を共にするようになり、二人の間にできたのは上下関係。
それでも依子は、尚子の置かれた立場や、沈黙の奥に潜む恐怖や怒りを察していく。
尚子もまた、「強さだけを武器」に生きてきた依子に、奇妙な信頼を寄せていきます。
物語はやがて、組織内部の権力争い、男たちの欲望が渦巻く世界へ——
そこは、尚子のような大切な一人娘でさえ単なる男たちの「所有物」として扱われてしまう場所…。
そんな状況下で、二人は守る者/守られる者という関係を越え、暴力に抗うための“共存者”へと変わっていきます。
そして二人が選んだのは——「逃亡」。
その選択の先に、幸せがある保証はどこにもない。むしろ、見つかり連れ戻されることになれば、命すら危ない。
しかし、それでも彼女たちは、逃亡し、数十年にもわたり、逃亡生活を続けるのです。
『ババヤガの夜』感想 —暴力の中にある「人間の真実」
本作で特に印象的だったのが、暴力の中にある「人間の真実」です。
尚子を守りながらも、依子は決して「正義の味方」ではありません。
彼女はしばしば自分でも理由のわからない怒りを抱え、暴力に心を奪われてしまう瞬間すらある。
しかし、この矛盾の中に、「人間の姿」があるように思うのです。
暴力を非人道的だと判断するのは、私たちの「理性」です。
しかし、自分や大切な人を守ろうと、敵に力で抗する「本能」もまた、私たちを動かす力です。
暴力は否定すべきものだと頭では理解していても、状況によってはそれに頼らざるを得ない瞬間がある。
だからこそ、暴力には常に矛盾がつきまといます。 そんな相反する感情の揺らぎを、本作は淡々と描くのです。
そして、尚子もまた、非力だからこそ、幼少期から世界を警戒し、冷静に観察してきた女性です。
そんな二人の関係は、「女同士の信頼・絆」といったきれいな表現では形容できません。
暴力的な世界でしか成立しない、歪ながらも切実な信頼です。
優しさや共感ではない、甘えも一切ない「夜を生き抜くための関係」です。
英ダガー賞の審査員が注目したであろう点も、ここなのでしょう。
暴力をテーマにしながら、これは単なる犯罪小説ではない。ジェンダー、支配構造、時に残酷な人間の生存本能といった問題を、物語を通じて読者に突きつけてきます。
ババヤガという神話—タイトルが照らす、もう一つの含み
本作をより深く味わう鍵が、タイトルにある〈ババヤガ〉です。
ババヤガ(Baba Yaga)とは、スラヴ民話に登場する老女の魔女。
子どもを食べる恐ろしい老女である一方で、主人公に試練を課し、それを乗り越えた者に英知や魔法の道具を授ける、二面性のある存在です。
つまり彼女は、「死と生」「恐怖と叡智」の境界に立つ存在です。
このことを知ると、本作も違って見えてきます。
本作に登場する二人の女たちは、普通の社会に身を潜め、紛れ込んで暮らしていますが、実際は、暴力の支配する「夜」のような人生を生きています。そこでは倫理観も法も機能せず、守ってくれる人もいません。
まさにババヤガの住む森と同じく、心の安心はもちろん、命の保証すらない世界です。
主人公・依子は、若さや純粋さとは無縁の存在であり、自らふるう暴力は、破壊であると同時に、生存するための武器です。 その姿は、どこか、老魔女ババヤガ と重なります。
まとめ──夜を生き延びた女たちの人生の物語
『ババヤガの夜』は、暴力という闇の中を生き生き抜く女性たちの人生物語。
万人ウケする作品ではありません。しかしそれでも、
暴力を否定しながらも頼らざるを得ない人間の矛盾と、夜の世界を生き延びるための歪で切実な絆を描き切った作品でであり。そこには、単なるバイオレンス小説を超えた、文学性がありました。
二人の関係は決して“理解しやすい”ものではありません。
しかし、その理解しがたさこそが、人間関係の本質なのかもしれません。
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