- 報道の自由・国民の知る権利が「錦の御旗」となって生まれる不幸を描いた社会派犯罪ミステリー
- セイレーンとは、岩礁の上から美しい歌声で船員たちを惑わし、難破に誘う怪物
- 犯罪を報じるマスコミは「報道をの自由」、そして世人は「知る権利」を武器に、犯罪者なかりか加害者、そしてその周囲にいる人たちをも不幸に陥れる。誰もが人を不幸にする加害者になることを忘れてはいけない
★★★★☆
Audible聴き放題対象本
『セイレーンの懺悔』ってどんな本?
タイトルにある「セイレーン」とは何かご存じでしょうか?
サイレンの語源とも言われる「セイレーン」は、ギリシャ神話に登場する海の魔女。上半身が人間の女、下半身が鳥。岩礁の上から美しい歌声で船員たちを惑わし、難破に誘う人魚、であり、怪物です。
人気作家 中山七里さんの「セイレーンの懺悔」は、女子高生誘拐殺人事件を暴く犯罪ミステリー。しかし、真のテーマは、報道の自由、国民の知る権利が錦の御旗となって「セイレーンの歌声」のように、視聴者を耳触りのいい言葉で誘い、不信と嘲笑の渦に引き摺り込もうとすること、そしてそれを視聴する視聴者もセイレーンの加担者となっている現代を斬ること。
私たちは情報があふれる時代に生き、常にマスコミの情報に翻弄されています。そして、人の痛みに鈍感になった視聴者たちも、不注意のつぶやきなどで、人の心を痛めたり、さらなる不幸を量産したりしています。情報との付き合い方、人の痛みと想像力について、考えさせられる小説です。
- 現代社会を鋭く切る社会派小説が好きな方
- 先がどうなるか知りたい、ミステリー好きな方
セイレーンの懺悔:あらすじ ※ネタバレあり
マスコミは、被害者の哀しみを娯楽にし、不幸を拡大再生産する怪物なのか。
葛飾区で女子高生誘拐事件が発生し、不祥事により番組存続の危機にさらされた帝都テレビ「アフタヌーンJAPAN」の里谷太一と朝倉多香美は、起死回生のスクープを狙って奔走する。
しかし、多香美が廃工場で目撃したのは、暴行を受け、無惨にも顔を焼かれた被害者・東良綾香の遺体だった。綾香が“いじめられていた”という証言から浮かび上がる、少年少女のグループ。主犯格と思われる少女は、6年前の小学生連続レイプ事件の犠牲者だった……。多香美が辿り着く、警察が公表できない、法律が裁けない真実とは――
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「報道」のタブーに切り込む、怒濤のノンストップ・ミステリー
仕事に対する使命感と自己嫌悪
主人公の朝倉多香美は配属2年目の若い社員。一方、里谷太一はベテラン社員。
多香美はマスコミとして真実に迫ろうとする中で、マスコミという仕事の使命を持ちつつ、マスコミに対する厳しい意見に自己嫌悪・罪悪感にさいなまれます。そして、これが「懺悔」につながっていきます。
真の犯人は…
事件の犯人は、当初、警察・マスコミが追っていた相手とは全く異なる人物であることが、間一髪、多香美が犯人に殺害されそうになるという局面を持って、明らかになります。
真の犯人は、そして、なぜ犯人は若き女子高生を手にかけたのかー 真相は、最後の最後に暴かれます。本記事では結末は伏せておきます。
セイレーンは何を懺悔したのか
多香美は一連の事件を通じて、所属局が犯した誤報、そして、真実を追うマスコミの使命の傍ら、それを報じるマスコミの影響力について、現場レポートを通じて懺悔します。
マスコミは人が最も暴かれたくないことを容赦なく暴きます。これが世の中をよくすることがあるのは事実です。
しかし、マスコミは、時に人を「生贄」にします。さらに、ひどいのが世人です。加害者であれ、被害者であれ、あれらをさらし者し、ああでもない、こうでもないと好き勝手なことを言い始めます。人の痛みに鈍感、かつ、想像力に欠けた世人が乗っかることで、追い込まれた弱きものの逃げ場が失われ、それが新たな不幸や犯罪者を生む事態も起こっています。
報道の自由、国民の知る権利、などと言われますが、それらは、ある意味「セイレーンの歌声」そのもの。「錦の御旗」となり、正義を振りかざす。しかし、実際に行われるのは、真実の追求でも被害者の救済ででもなく、当事者たちの哀しみを娯楽として楽しんでいるだけなのが現実です。
このような現実を、本作品は、読者に語り掛けてきます。
セイレーンの懺悔:感想・気づかされたこと
ここからは本書を読んで、ストーリーの中で気づかされたことを中心に紹介します。
リアリティのある死、死に対する覚悟
事故死・病死・自殺・他殺…. マスコミは、多くの「人の死」を取り扱う仕事です。犯罪小説のように、死体の状態を具体的に描写する必要はない。むしろ、そんなことをしたら視聴者に批判される。しかし、実際に「死」を知っているかどうか、それが報道のリアリティに影響する。死も百聞は一見に如かず。リアリティというより覚悟の問題だ。といったシーンが登場します。
このシーンを読んでいて感じたのは、マスコミに限らず、平凡に暮らしている私たちも、もっとリアルに「死」を感じるべきであり、もっと「死」について考えるべきだということ。
特に、マスコミで報じられる「死」は一個人にとっては軽い。しかし、親族は、悲痛な思いをしています。親族など身近な人の「死」は重い。そして、「生の尊さ」を痛感する瞬間でもあります。「死」について、学んでおくべきです。
養老孟司さんの著書「死の壁」は、他人の死を軽んじないためにも、一読しておくべき良書です。「なぜ、私たちは死体は気持ち悪いと思ってしまうのか」、「死体は気持ち悪いのに、なぜ、家族など身近な人の死体はそうは思わないのか」など、死に関する理解を深めてくれます。
映像操作は至るところに
報道番組・ニュースを見ていると、「上空からの俯瞰映像 → ビニールシートが移る現場の寄り映像」と切り替わる映像が多く見られます。
俯瞰映像というのは「神の視座」。全てを見通しているかのような全能感を醸し出す。しかし、しばらく見ていると飽きが早い。客観的過ぎて、迫真性に欠ける。故、現場に近いブルーシート映像などが流れる。何気ない映像にも、心理操作は行われています。
私がワイドショーが嫌いなわけ
俺たちは被害者とその家族の無念を晴らすために働いている。だけど、あなたたちは不特定多数の鬱憤(うっぷん)を晴らすために働いている。
上記セリフは、作品中で、警察はマスコミ陣に対してはなった言葉です。
セリフ内の不特定多数=視聴者のこと。視聴者が憤慨して社会問題になるようなスクープであるほど視聴率はアップ。「人の不幸は蜜」という言葉が物語るように、視聴者は事件が白日の下に晒されることを、どこかで面白がったり、或いは、「自分より不幸な人」を見ることで、無意識レベルで自分の幸福を感じています。
SNSでの批判などは最たるものです。ネトパトは正義を気取り、「非道な犯罪者=敵にどんな事情があろうと、許してなるものか!」と、徹底的に容疑者が事件を起こした背景、素性・内面性など、本人が最も隠しておきたい秘密まで、白日の下に晒して面白がっています。
私は、このようなコメントを見るのが嫌いです。というか、「負の感情」に触れたくないし、人の不幸にできるだけ触れたくない。さらに言えば、ワイドショーなどのコメンテーターの薄っぺらい倫理観にも触れたくない。故、ワイドショーや、バラエティ色のあるニュースなどは一切見ないことにしています。
自分の仕事に敗北感を感じた時、自分を奮い立たせる言葉
どんな商売でもそうだろうが、その道に進もうとしたきっかけや動機に立ち戻ってみる。
駆け出しの頃だから業界の常識に洗脳されてもいない。会社の社是も知らない。自分がいったい何のためにテレビの仕事をするのか、自分はこの世界で何を実現したかったのか。それを思い出すだけで、案外霧は晴れていく。
理不尽を感じるときなど、長い仕事人生の中には、「なぜ自分はこんな仕事をしているのだ」と、己嫌悪・罪悪感・敗北感に思い悩むことがあります。
そんな気持ちになったとき、再び気持ちを奮い立たせる言葉として、上記セリフを覚えておきたいと思います。
【余談】スターバックスのロゴマークは「セイレーン」
スターバックスのロゴマークも、ギリシャ神話の人魚・セイレーン。本作では、セイレーンを怪物として取り扱っていますが、スターバックスのロゴに込められた意味は何なのか?
スターバーバックスの場合は、美しい歌声で船乗りを誘惑し、心を奪ったとされる人魚の物語から、「コーヒーの香りで道行く人々を魅了したい」という想いがロゴマークに託されています。
中山七里さんの本
中山七里さんの小説は、時代を象徴するような社会問題をテーマにした作品が多いのが特徴。社会問題にミステリーが重なった「社会派ミステリー」好きにはたまらない作家さんです。映画化映像化された作品が多いのも特徴です。
本 | タイトル | テーマ |
---|---|---|
護られなかった者たちへ | 貧困・社会福祉 | |
境界線 | 災害と貧困・犯罪 | |
総理にされた男 | 政治・内閣 | |
テミスの剣 | 司法制度・冤罪 | |
メネシスの使者 | 死刑制度・殺人犯 | |
セイレーンの懺悔 | 報道と犯罪事件 | |
特殊清掃人 | 孤独死 | |
ドクター・デスの遺産 | 安楽死 |
ミステリーとして面白いだけでなく、読んだ後に、テーマとなった社会問題について興味を持って調べてみると、知識も深まります。
また、映画など映像化されたものの場合は、原作小説と映像作品の違いを知るという楽しみもあります。ミステリー作品は映画されると、ビジュアル的にセンセーショナルな部分が印象として残りますが、原作小説で読むと、今我々の社会で起こる社会の闇がより深く理解でき、また、人の痛みをより痛切に感じることができます。
最後に
今回は、中山七里さんの小説「セイレーンの懺悔」のあらすじと感想を紹介しました。
中山七里さんの小説は、時代の負の側面を切り取り、私たちに問いかけてくる作品がたくさんあります。ストーリーが面白いのと同時に、いろいろ、生き方を考えさせられたり、社会を観る目を養ったりするのに参考になります。是非、手に取って読んでみてほしいです。