- 若さゆえの抑えきれない「破滅衝動」を強烈に描く芥川賞受賞作
身体改造、セックス、暴力、依存——。刺激的な題材を扱いながら、その核心にあるのは “痛みだけが存在を証明してくれる” という若者特有の切迫した渇望。若者の破滅衝動がリアルに読者に迫りくる。 - わずか128ページとは思えない密度さ
淡々と乾いた筆致。しかし、それが、ルイの内側に巣食った「破滅の衝動」を生々しく浮き立たせ、読者の胸を深く刺す。映画が強烈なビジュアルで迫るのに対し、原作は若者の内面を容赦なく抉る。 - 主人公が求めたものとは—
タイトルの「蛇」が象徴するものは何なのか—。自身に「虚無感」を抱いている人に読んでほしい。
★★★★☆ Audible聴き放題対象本
『蛇にピアス』ってどんな本?
『蛇にピアス』は、2024年にすばる文学賞と芥川賞を受賞した金原ひとみさんのデビュー作。
映画化もされ、文学と映像のあいだで大きな議論を呼びました。
若さゆえの抑えきれない衝動、そして身体を傷つけることでしか得られない「痛み」と「生の実感」。
発刊から年月が過ぎてもなお、その切迫した息づかいは色褪せず、読者の心を強く揺さぶり続ける作品です。
身体改造、セックス、暴力、依存——。
刺激的な要素に満ちた物語ですが、
その底に流れるのは、「私は本当に生きているのか?」という、どうしようもない渇望。
128ページという短い文庫とは思えないほど、読み終えた後には深い余韻が残ります。
今回本作を読み終え、なぜ今も読み継がれるのかが痛いほど理解できました。
蛇にピアス:あらすじ
主人公ルイは、虚無を抱えながら漂うように生きる若い女。
そんな彼女の前に現れたのが、舌先が二つに割れた“スプリットタン”をもつ青年・アマだった。
その異様な姿と、壊れ物めいた危うさ。ルイはその魅力に抗えず、彼に強烈に惹きつけられ、同棲を始める。
その吸引力に導かれるように、ルイは自らも“舌ピアス”という身体改造の道へ足を踏み入れる。
鋭い痛みが舌先から脳へ駆け抜ける瞬間、彼女の虚無はかすかに満たされ、世界がようやく手触りを取り戻す。
その“痛み”こそが、ルイの存在をつなぎとめる唯一の現実になっていく。
舌ピアスをきっかけに訪れた、アマの友人、タトゥーアーティストのシバの店。
タトゥーの針が皮膚を刻む「痛み」と、シバとの秘密裏の過剰なセックスがもたらす「快楽」。
しかし、二人の男との危うい三角関係をはじめたルイは少しずつ、しかし確実に崩壊していく。
献身的で優しいのに、暴力衝動を抑えきれないアマ。
静かな包容力と狂気を同時に抱えたシバ。
そのどちらにも寄りかかりながら、ルイは現実を人間らしくまっとうに生きる足場を失い、「痛み」だけが自分を証明する手段になっていく。
やがてアマは衝動のまま暴力事件を起こす。
警察の手におびえながら暮らしていたある日、アマは理由も告げず突然姿を消す。
その喪失は、ルイの心に空洞を開けるというより、彼女の存在そのものを吸い込む“穴”と化す。
アマを裏切りながらも、彼がいなければ崩れ落ちてしまう——。
現実から目をそらし続けてきたルイは支えを失い、食事も、思考も、生きるためのすべてが機能しなくなっていた。
物語は淡々と、乾いた筆致で進む。
だからこそ、ルイの内側に巣食った「破滅の衝動」が生々しく、読む者の胸を刺す。
そんな痛みが、物語のラストまで続いていきます。
感想 :痛みだけが、生きている実感—— そんな「生」はあまりに残酷だ
原作と映画で異なる迫力
2008年、蜷川幸雄監督によって映画化された本作。
吉高由里子、高良健吾、井浦新というキャストによって、映像は原作の世界を強烈な形で具現化しています。
映画は、パンクなビジュアル、暴力とセックスの生々しさに目を奪われる。
対して、原作は、内面性——ルイの精神の揺れと崩壊が、ぐっと胸へ沈んでくる。
若さゆえに思慮が浅く、また、感情をコントロールできないルイの「危うさ」が、読者の心にぐっと突き刺さる。
本作のような過激な題材はともすれば薄っぺらいストーリーになりがちです。
しかし、本作は、「若さ」「衝動」「痛み」「愛」というテーマで、見事に純文学へと昇華されています。
映画をご覧になった方も、両者の違いを堪能してほしいです。
ルイは何を求めていたのか──『蛇とピアス』が描く“痛み”と変容の衝動
作品のラストで描かれるルイは、一見すると “そばにいてくれる愛” を求めているように映ります。
しかし、彼女が本当に渇望しているのは 愛ではなく「痛み」 。
痛みだけが、曖昧な「自分の存在」を認識させてくれる。
その感覚を失い宅がないが故に、彼女は破滅の方向へと歩み続けてしまう。
「スプリットタン(蛇舌)」や「タトゥー」へ異様なまでに惹かれたのも、
自分の身体も、アイデンティティさえも塗り替えたいという、彼女自身も気づかない 深い変容衝動 なのでしょう。
思えば「蛇」とは、脱皮を繰り返し古い皮を脱ぎ捨てる生き物。
神話ではアダムとイブを誘惑し、しばしば毒を宿す危険な存在として描かれる。
だからこそ蛇は、
“変容(脱皮)” “誘惑(危険な魅力)” “破滅衝動(毒)” “再生(生きたい願望)”
という相反する力を同時に象徴する、強烈なメタファーなのだと思います。
人は絶望の淵に立たされたときほど、「存在を確かめたい」という理由で破滅衝動が芽生える。
壊してでも現状を変えたいという、理屈を超えた渇き。
まして若さゆえに感情の制御が効かないルイは、その炎がさらに激しく燃え上がってしまう。
ルイという存在は、その危うさと痛切さをあまりにも生々しく体現しています。
だからこそ、読み終えたとき思わず願わずにはいられませんでした。
――どうか彼女が、誰かの助けを得てでも、小さな「変化のきっかけ」を掴めますように、と。
若さゆえの衝動と芥川賞
芥川賞がしばしば扱うテーマ、それは「若さの危うさ」そのものです。
未熟さ、衝動性、自己崩壊。
そのどれもが、文学の世界では生への切迫感として立ち上がり、読者に胸の痛みをもたらします。
私が芥川賞作品が好きな理由も、ココにあります。
- 『ブラックボックス』砂川文次(166回) 自転車便 × 非正規雇用 × 結婚適齢期
- 『推し、燃ゆ』宇佐見りん(164回)推し活 ×執着 ×自己崩壊
- 『苦役列車』西村賢太(144回)日雇い ×孤立 ×破滅
- 『蹴りたい背中』綿矢りさ(130回)学生 ×未成熟 ×屈折した欲望
どれも、若者の“生きづらさ”と“渇望”を正面から描いた作品です。
しかも、どの作品も、その時代の空気感・世相をまとっており、それゆえに、痛みのリアル感が一段高まっているように思うのです。
『蛇にピアス』も、まさに、この系譜の作品で、「若者の痛み」が際立っていました。
最後に
『蛇にピアス』は、痛みと快楽、空虚と存在、破滅と生存本能といった両極のテーマを、驚くほど一つにまとめ、描き切った一作でした。
過激な題材だけを見ればただのショッキングな物語。
また、ラストのルイ・シバの描写は曖昧で、解釈が読者にゆだねられています。評価は人により異なります。
しかし本質は、若さゆえの無防備さ・破壊衝動を描き切った純文学。「人のどうしようもない部分」を抉る作品です。
そんな読書体験を求める人には、間違いなく刺さる1冊です。
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