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【書評/感想】私労働小説 ザ・シット・ジョブ(ブレンディ・みかこ) 労働の底にある過酷な現実に圧倒的リアルで迫る

【書評/感想】私労働小説 ザ・シット・ジョブ(ブレンディ・みかこ) 労働の底にある過酷な現実に圧倒的リアルで迫る
私労働小説 ザ・シット・ジョブ」要約・感想
  • 低賃金で労働環境がよくない「クソみたいに報われない仕事」のリアルを描く、自伝的労働小説
  • 雇い主・顧客に軽んじられるシット・ジョブのリアリティが半端ない。現代版『蟹工船』
  • 一方的に下級階層が上流階層の非道を罵る作品ではない。読了後、「人にとって仕事とは何か」を深く考えさせる

★★★★★ Audible聴き放題対象本 社会派小説

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目次

『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』ってどんな本?

Audible聴き放題対象本

「自分を愛するってことは、絶えざる闘いなんだよ」。魂の階級闘争の軌跡!

「あたしのシットはあたしが決める」
ベビーシッター、工場の夜間作業員にホステス、社食のまかない、HIV病棟のボランティア等。「底辺託児所」の保育士となるまでに経た数々の「他者のケアをする仕事」を軸に描く、著者初の自伝的小説にして労働文学の新境地。

「自分を愛するってことは、絶えざる闘いなんだよ」
シット・ジョブ(くそみたいに報われない仕事)。店員、作業員、配達員にケアワーカーなどの「当事者」が自分たちの仕事を自虐的に指す言葉だ。
他者のケアを担う者ほど低く扱われる現代社会。自分自身が人間として低い者になっていく感覚があると、人は自分を愛せなくなってしまう。人はパンだけで生きるものではない。だが、薔薇よりもパンなのだ。
数多のシット・ジョブを経験してきた著者が、ソウルを時に燃やし、時に傷つけ、時に再生させた「私労働」の日々、魂の階級闘争を稀代の筆力で綴った連作短編集。

Amazon本紹介

本書は、くそみたいに報われない仕事「シット・ジョブ」に焦点を当てた労働小説です。

虐げられる労働者たちの闘争を描く日本のプロレタリア文学の代表作『蟹工船』(小林多喜二、1929年発表)の現代版とも言えるような作品で、現代社会で、上層階級に見下され軽んじられがちな下層労働者の現実を、小説とは思えないリアルさで描いています。読み物として面白いお仕事小説とは一線を画します。

著者は、大ヒットノンフィクション『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の作者のブレイディ・みかこさん。「ぼくはイエロー」では、自身の息子の成長を通して、イギリス多文化社会でのアイデンティティの形成や、人種、階級、教育などの社会問題が描かれましたが、「ザ・シット・ジョブ」では、階級社会が根強く残るイギリスを中心に、賃金が低い「他社のケアをする仕事」で働く日本人労働者の現実を描いています。

タイトルに、『私労働小説』とあるように、自伝的『私小説」であり、架空の人物を描いた「労働小説」でもある作品です。ブレンディさんは「あとがき」で、「ノンフィクションではないし、自伝でもない」とあえて説明していますが、「作中で紡がれる言葉」は、経験者でなければ書けないと思えるほどのリアリティで、読者に迫ってきます。

  • 私たちにとって仕事とは何かー
  • 人としての尊厳を奪う、さげすまれる労働があっていいのか―
  • ブルシット・ジョブより、意味ある仕事をしているシット・ジョブの方がなぜ、低賃金なのか―
  • 世界から理不尽を失くすことは不可能なのかー

後味のいい作品ではありません。しかし、それ故、人間の本質、社会の本質を考えさせます。いい小説は、読者に多くを考えさせます。本書はそんな小説です。

本書をおすすめしたい方
  • 労働問題、格差問題に関心がある方
  • 多くを考えさせる社会派小説が好きな方
  • 「小説は娯楽」と軽んじて、普段小説を読まない方

『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』:感想 ※ネタバレあり

本作は、以下の6話から成ります。シット・ジョブを渡り歩く「あたし」が、職場で見て感じた「労働のリアル」に描き出します。

第一話 一九八五年の夏、あたしたちはハタチだった
第二話 ぼったくられブルース
第三話 売って、洗って、回す
第四話 スタッフ・ルーム
第五話 ソウルによくない仕事
第六話 パンとケアと薔薇

どの話も「下層・上層間にある関係」が描かれていますが、特に、「ブルシット・ジョブ」と「シットジョブ」を対比的に描いているのが「第六話:パンとケアと薔薇」です。

※以下、」ネタバレを含みますになります。未読の方はご注意ください。

「ブルシット・ジョブ」と「シットジョブ」

まずは、簡単に「ブルシット・ジョブ」「シット・ジョブ」の違いから。

「ブルシット・ジョブ」は、従事者自身がその仕事を無意味と感じている「くそどうでもいい仕事です。社会的に有益な成果を生まない、もしくはその価値が疑わしい仕事で、給料が高いホワイトカラー、エリートが中心です。

クソどうでもいい仕事は、人類学者のデイヴィッド・グレーバーさんが提唱したもので、それをまとめた本『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』は世界的ベストセラーにもなりました。

対して、「シット・ジョブ」は、低賃金で労働環境がよくない「クソみたいに報われない仕事です。本作では、水商売、ナニー、アパレル店員、クリーニング、保育士、賄い、介護系の仕事に就く女性たちの職業生活を描いています。

グレーバーさんは、社会が正常に機能するために不可欠な業務に従事している労働者「エッセンシャル・ワーカー」が薄給にあるのに対し、ブルシット・ジョブワーカーが高給であることに言及します。本作「第六話:パンとケアと薔薇」は、この現状をリアルに描きます。

以下の引用は、シット・ジョブで働く「あたし」が、週末にケアの現場でボランディアとして働くブルシット・ジョブ高学歴エリートに、「なぜ、ケアの現場でボランティアをするのか」を問うシーンです。

「あの仕事(ケアの仕事)ではダイレクトに誰かのためになれるから。」

「でも、弁護士の仕事だって人の役に立ちますよね。」

「企業の弁護士は、企業の役に立つけど、人の役に立つとは限らない。」「むしろ役に立たないことをやっているんだよ。悪い人間ほどいいことをしたがるんだよ。」(略)

「病室を回るとき、ぼくたちはそこにいる人たちに言葉をかけるよね。相手から言葉が返ってきたら、嬉しくなる時はない?ああいう気持ちは、僕がしている仕事では味わうことができない。本当にすべき仕事というのは、こういう仕事じゃないかと思うときがある

※セリフの途中途中を省略・抜粋してまとめ

ブルシット・ジョブに就く人も、シット・ジョブに就く人も、互いに相手の仕事に憧れ、うらやんでいる部分がある。しかし、同時に、「あんな人たちのようにはなりたくない」と、互いに軽蔑している。そんな尊敬・羨望・妬み・軽蔑といった感情が複雑に絡み合う現代社会をとても鋭く描いています。

恵まれた地位にいる人のケア労働への憧れは、吐き気がするほどロマンティックだとしても、自分が経験できないもオノへの渇望があるんだ。そして、彼らはすべてを手に入れると信じる階級の人々だからこそ、週末のボランティアでその活動を癒そうとしていた。

人はパンで生きている。バラよりパン

第6話の後半では、物価高や生活苦の話題が毎日のように新聞を飾るようになってから、スーパーの青果売り場から花がめっきり減らなくなったことが語られる。生活が苦しくなると、花なんか人は買わない。バラよりもパン。それが些細な日常の風景にも表れてくるのです。

そんな風景を見ながら「あたし」は、棺の中を美しい花で満たされ火葬された母、そして、介護士時代の母は毎日イラつき、職場の文句を言っていたことを思い出します。

母親が、あんな風に口汚く、職場やそこで出会う人たちのことをひどくこき下ろしたのは、自分がもっと報われるべきだと思っていたからだろう。(略)

お金の心配ばかりして生きている人は、お金のことしか考えられなくなる。後年、母が認知症になると、この傾向に拍車がかかり、彼女が人と会うときに最初に言う言葉は(略)、「今、いくらもらっているの?」になってしまった。(略)

(死んだ)彼女を花々や美辞麗句で飾りたかったのは、本人以外の人間で、本人はそんなものよりパンの方がよかったのだ。食べたこともない美味しいパンや、行ったこともない高級店のパンが食べたかったのだ。

それは卑しいことだろうか。パンがいる。文字通り、パンがいるのだー

「あたし」は今ケアの現場で働く自分と、かつてケア現場で働いていた母の末路を思い、泣き出します。そして、これまで避けていた、貧困者用にフードバンクの提供するパンに手を出すのです。家族と共に生きるために―

新型コロナは、ケアワーカーを救うのか?

経済格差・階級格差から生まれる社会の不都合な事実。そこから生まれる憎悪。他人のために身を捧げる利他主義的な看護士や介護士といった仕事が、社会的意義があるにも関わらず処遇面では恵まれておらず、苦しさの中で生きている現状が、ひしと伝わってきます。

コロナ禍では、エッセンシャル・ワーカーへの処遇改善の動きも見られました。しかし、2024年の現在はどうか?

私には、処遇改善の動きが一時的であったように見えてなりません。こと、日本について言えば、職種限らず、円安・物価高に対し、賃金上昇が物価上昇に追い付いていません。少し給料が上がったとしても、物価高がすべてをかき消します。

『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』:あなたを救う名言

昔、イギリスに旅行で驚いたのは、イギリスは日本と同じ島国でも、肌の色が違う人々が入り混じる国だったことです。

よく考えれば、英国は、産業革命で世界No.1の覇権国に上り詰めた国。19世紀から20世紀初頭にかけて、世界の約4分の1の土地と人口を支配した国です。時代は変わったとは言え、イギリス社会には、民族格差・労働格差が今でも根強く残っているだろうことは想像がつきます。

本作には、雇い主や顧客など上流層が下流のシット・ワーカーに対して、「人としての尊厳を踏みにじる態度」を見せるシーンが多々描かれます。尊厳を踏みにじられて、人は強く生きていくことはできません。そこで人はどう考えるのか?どう対処するのか?

本書には、仕事に苦しむ言葉も散らばっています。心にずしんと刺さったシーンを一つだけ厳選して紹介します。

自分で自分を愛せなければ闘えない

人間が低くなるには、二つあるんだ。一つ目は、他人に低く見なされるから自分が低いものになったように思えるとき。これは闘うべきだし、どちらかといえば簡単な闘い。もう一つは、本当に自分自身が低くなっていくように思えるとき。こういうときは、その場からできるだけ早く離れるべき。

(略)

どうしてだと思う?私たちみたいな仕事をしているとね、いつも下に見られる。だけど、自分自身を愛していればそれに抵抗できるし、自分を低くさせているものと闘うことができる。

でも、自分自身が低いものになっていく感覚があると、自分が愛せなくなる。あなたは自分を愛してる?

(自分を愛せないのが)仕事のせいなら辞めた方がいい。自分を愛するってことは、絶えざる闘いなんだよ。

これは、第五話「ソウルによくない仕事」の中の1シーンです。。下町の肝っ玉母さんみたいなどっしりとした女性が「あたし」に投げかけたとても哲学的な言葉です。イマイチ納得していない顔つきの「あたし」にダメ出しで、以下の言葉を投げかけます。

自分のソウルに合わない仕事は辞めるべきー

彼女の口からでた「ソウル」という言葉は、「魂」と言うひ弱な言葉に訳したくないぐらいどっしりと肉体感じがあった。

今、仕事を辞めたいと悩んでいる人は多いと思います。おそらくそんな方は「自分を愛せていない」でしょう。

「自分を愛せない理由が何か考える」ことは、今後の「自分の幸せ」を考える上でとても大事だ。この言葉に教えられました。

最後に

今回は、ブレンディ・みかこさんの『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』を紹介しました。

現代社会では、「クソどうでもいい仕事」と「クソ報われない仕事」の両方が増加し、精神を病む人が溢れています。本作は、労働とは何かー 仕事の尊厳にまでふみ込んで私たちに問いかけてきます。一方的に下級階層が上流階層の非道を罵る作品ではありません。だからこそ、より、読者の心に響くのではないかと思います。

このような深く考えさせられる小説は是非読んでみてほしい。特に、いつも小説は娯楽と下等扱いしている方に読んでほしいです。

関連書籍

著:デヴィッド グレーバー, 翻訳:酒井 隆史 他 / Audible聴き放題対象本
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