- 「人はなぜ、金に狂い、罪を犯すのか」を問う社会派小説
- 17歳の夏、親もとを出て「黄色い家」に集った少女たちの、危うい共同生活と崩壊を描く
- 「黄色」が極めて重要な意味を持つ。「お金・犯罪・家庭環境」について考えさせられる深い作品
★★★★★
Audible聴き放題対象本
小説『黄色い家』ってどんな本?
2020年春、惣菜店に勤める花は、ニュース記事に黄美子の名前を見つける。
60歳になった彼女は、若い女性の監禁・傷害の罪に問われていた。
長らく忘却していた20年前の記憶――黄美子と、少女たち2人と疑似家族のように暮らした日々。
まっとうに稼ぐすべを持たない花たちは、必死に働くがその金は無情にも奪われ、よりリスキーな〝シノギ〞に手を出す。歪んだ共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解へ向かい……。Amazon掲載紹介文&評価
善と悪の境界に肉薄する、今世紀最大の問題作!
『黄色い家』は主人公 17歳の夏、「黄色い家」に集った少女たちの危険な共同生活と、犯罪に手を染めていく若者の姿を描いた社会派小説です。
物語は、主人公・伊藤花が、かつて一緒に暮らしたことのある黄美子が、監禁・傷害罪に問われている記事を目にすることから始まります。ショックを受ける花。物語は長い回想を通じて、花と黄美子との関係を描きます。
本書の魅力でもあり、怖さを感じてしまうのは、「若者の無知さ・純粋さ」と「その隣りにある犯罪とリスク」。 知的・金銭的に下層にある若者が犯罪に手を染めるときの動機・心理が、あまりに無防備過ぎて、読んでいて背筋がぞっとします。またそこに、著者の執筆力をも感じます。
作者の川上未映子さんは、「乳と卵」で芥川賞の受賞がある人気作家。本屋大賞でも複数のノミネート経験もある実力派。本書をきっかけに、他の本を読んでみたくなる人も多いはずです。
小説『黄色い家』:ネタバレ解説&考察
社会問題を取り扱った『黄色い家』。この作品の魅力を深掘りするために、もう少しあらすじを紹介してから、感想・考察をまとめます。
【ネタバレあらすじ】物語の背景
花は母に恵まれませんでした。シングルマザーの母は恋人を大事にし、生活の面倒はおろか、花がバイトで貯めたお金を恋人が盗んだことを母に追求しても、うやむやな回答で問題を解決しようとすらしない。母に絶望した花は、母の知人であった年上の貴美子と新しい人生を始めます。
黄美子のスナック「れもん」で一緒に働き始めた花は、バイトより圧倒的にラクな稼ぎ方があることを知ります。さらに、家族に恵まれない2人の女子、キャバ嬢を辞めた加藤蘭、女子高生の玉森桃子と知り合い、黄美子の元で、共同生活をはじめます。
れもんの経営も共同生活も順調。お金に苦しんだ経験があり、もともと生真面目で働き者の花は、今後の生活に皆が困らぬよう、まるでみんなを守る<親>の役目を担うかのように、共同貯金をはじめます。
しかし、次第にほころんでいく共同生活ー。大事なモノを守るために、少女は、リスキーな〝シノギ〞に手を出すことになるのです。
「黄色」の意味すること
タイトルの「黄色い家」、「黄美子」という名前、スナック「れもん」。本作は、「黄色」が重要な意味を持っています。
明確に本作で説明されているわけではありませんが、私はが考える黄色は「花が絶対に守りたい大事なモノの象徴」です。
- 生活を守る「お金」
- 黄美子さんもいる「みなが笑って暮らせる家」
- なじみの客も集まる「みんなが集うスナック」
しかし、これらが、少しずつ傷つき、壊れていく。花は、これらを守ろうと、或いは、取り戻そうと、スマックレモンの客を通じて闇社会へとつながり、また、共同生活を共にする少女2人をも犯罪に巻き込んでいくのです。
黄色は、希望。黄色は、危険。黄色は、狂気―
本書の案内では、上記のように「黄色」が表現されています。考えてみると、
- 黄色は、気持ちを明るくする「明るい色」、「希望の光」
- 黄色は、注意が必要な「黄色信号」。過度に刺激的な色
- 黄色は、一部の文化・芸術作品では、「狂気」や「不安」を象徴する色
上記のように解釈できます。黄色にいろんな意味が含まれており、深いです。
知的・金銭的に下流な少女たちの危うさに、ゾッとする
私が本作を読んでゾッとしたのは、知的・金銭的に下流な少女たちが犯罪に手を染める際に見せた、とても軽々しい行動&心理です。
それをやってしまったらどうなるか?
深く考えることなく、ある種。ゲームをするかのように犯罪に加担してしまう。そして、そこから抜け出せなくなり、どうしようもなくなる。そんな、若者の危うさが、著者の巧みな筆力で描写されています。
本作は「人はなぜ、金に狂い、罪を犯すのか」をキャッチコピーとしながらも、犯罪の背景にある「貧困」の厳しさにクローズアップし、社会問題として問う作品ではありません。貧困からくる犯罪をメインテーマし、貧困の悲惨さを徹底的に描く作品の代表作に、中山七里さんの「護られなかった者たちへ」がありますが、これらとは全く方向性が異なります。
貧困・犯罪を憎む作品というより、貧困・犯罪の渦中にいながらも、なんとか生きていこうとする人々、そして、そう日う人たちの「心の拠り所」となるものが何かを強調して描かれていると感じました。それがタイトルにも表れていると思います。
「まともな人」「まともな感覚・思考」とは?
つまり今日を生きて明日もそのつづきを生きることのできる人たちは、どうやって生活しているのだろう。
そういう人たちがまともな仕事についてまともな金を稼いでいることは知っている。
でもわたしがわからなかったのはその人たちがいったいどうやって、そのまともな世界でまともに生きていく資格のようなものを手に入れたのかということだった。
「まともな人」「まともな感覚」ー。本作を読んでいると「まともな感覚」とは何なのか?どうしてまともでなくなってしまうのかを考えさせられます。
花は、「まともな感覚」を手に入れにくい親の元で育ちました。頼れる人もいません。このような人にとって、よりどころとなるのは「お金」。しかし、この「お金」も失くなってしまったら…。
「貧すれば鈍する」という言葉が象徴するように、貧困は「まともな思考」をも奪います。1つ歯車が狂って窮地に陥ると、まともな考えができなくなり、転がるように、悪い方向に向かってしまうことを、本作は描ています。
印象的なセリフ
作品には、「お金とは何か」「幸せとは何か」を考えさせる言葉が散らばっています。それらの中から、印象なセリフを記します。
幸せな人間っていうのは、たしかにいるんだよ。でもそれは 金があるから、仕事があるから、幸せなんじゃないよ。あいつらは、考えないから幸せなんだよ。
悪い意味でも取れるし、裏返して「あまり深く考えなければ、幸せに生きられる」とも読めます。どちらがいいか?人次第なのかもしれません。
(ギャンブルとしての賭博バカラで)
あの瞬間、あそこでは、金は無意味になるんだよ。それもただの無意味じゃなくて、圧倒的な無意味っていうか。 あの瞬間だけ、金がこの世の中でいちばん無意味なものになるんだ。
おかしいでしょ。だって金はすべてでしょ。それは間違いない。金がすべてで、でも、それと同時に金が無意味になる。(略)
手につかんだ札束には、それが満ちてる。もうそれだけをびんびんに感じて――うまく説明できないけど、そういう感覚なんよね。
「本気でね、博奕を、バカラをやるやつっていうのがいて、こいつらは最初からちょっとずつ死んでんの」
「ちょっとずつ死んでる?」
「死んでるっていうか、ちょっとずつ自分を殺しつづけてるっていうかね。見ためは服着て飯食って普通に生きてる。 外からはぜんぜん普通にみえる。でもあいつらはちょっとずつ自分を死なせてんの。ちょっとずつ死んでる、死なせつづけてる…そういうやつらが本気でバカラをやりにくんの。それで、金の奥にいこうとする」
お金は人を狂わせる。「お金とはなんと罪な存在なのか」と思わざるを得ません。
最後に
今回は、川上未映子さんの社会派小説『黄色い家』のあらすじ・感想・考察を紹介しました。
「お金・犯罪・家庭環境」などについて、深く考えさせられる本です。映画化・ドラマ化もありそうな作品なので、是非、手に取って読んでみてください。