- ふたりの女の子の四半世紀に及ぶ出会いと別れを描いた感動小説
- タイトルの『光のとこにいてね』は、ストーリー中でも何度か登場するとても重要なセリフ
- 出会いと別れ、そして再会。時と共に立場は変わっても、2人の間にある「心のつながり」。ただ 仲良しくしていることが、友達ではない。生きていくってこういうことかもしれないという感慨深さがある作品
★★★★★
Audible聴き放題対象本
小説『光のとこにいてね』ってどんな本?:あらすじ
――ほんの数回会った彼女が、人生の全部だった――
古びた団地の片隅で、彼女と出会った。彼女と私は、なにもかもが違った。着るものも食べるものも住む世界も。でもなぜか、彼女が笑うと、私も笑顔になれた。彼女が泣くと、私も悲しくなった。
彼女に惹かれたその日から、残酷な現実も平気だと思えた。ずっと一緒にはいられないと分かっていながら、一瞬の幸せが、永遠となることを祈った。
どうして彼女しかダメなんだろう。どうして彼女とじゃないと、私は幸せじゃないんだろう……。――二人が出会った、たった一つの運命
切なくも美しい、四半世紀の物語――第168回直木賞候補作&2023年本屋大賞第3位
刊行以来、続々重版。大反響、感動、感涙の声、続々!令和で最も美しい、愛と運命の物語
Amazon解説
裕福な家庭に育ち、学校から帰ると塾通いで毎日の予定が埋まる 小瀧結珠(こたき・ゆず)
オーガニックを徹底するシングルマザーのもとで、様々なことを我慢させられ暮す 校倉果遠(あぜくら・かのん)。
ふたりがはじめてであったのは、古びた団地の片隅。着るもの、食べるもの、暮らし方もすべてが異なる7歳の2人。しかし、2人はお互いに惹かれあう。
私と果遠ちゃんは全然違って、よく似ていた。意味がわかるルールもわからないルールも、とにかくママが決めたことを守らなきゃいけなくて、ママの好きなものじゃなくて嫌いなものにばかり詳しいところ。
今まで、何を言われても何をされても、泣いたことなんてなかった。なのにどうしてだろう、結珠ちゃんに嫌われたらと思うだけで全部おしまいになる気がする。一年生の時「一九九九年になったら地球が滅亡するんだって!」とクラスの男子が騒いで女子の何人かが泣いて、先生が「そんなことはありません」と怒った。わたしは、先のことなんか誰にもわからないのにと思っただけだった。でも、今はわかる。結珠ちゃんがいなくなったら、わたしはきっと「めつぼう」してしまう。
タイトルでも使われる「光のところにいてね」というセリフは、この作品を象徴する大事なセリフですが、そのセリフは、7歳の果遠が結珠に、まだまだ一緒に時間を過ごしたいから「日の光があたるそこで、ちょっと待っててね」という意味で発せられた言葉。
しかし、運命は無常。それを最後に、幼い二人は出会いを果たすことができなくなります。しかし、運命は、15歳、29歳で二人を思いがけず再開させます。2度目、3度目の出会いでも、このセリフが重要なキーワードとなり話は展開していきます。
進学、就職、結婚… 成長と共に変わる、2人の境遇・立場。幼く純真な7歳、多感で世の中も見える15歳、大人になり家族・仕事を手に入れるも、世の中に翻弄され、悩みも増える29歳….
時を経て、2人は成長した互いに何を感じるのかー。
『光のとこにいてね』:感想
ここからは、本作を楽しむためのポイント、及び、感想です。
2人をつなげたもの「母という呪縛」
境遇の全く異なる7歳の2人をつなげたもの。無垢な子供同士なので、単純に一緒に楽しく遊びたいという気持ちもあったでしょう。しかし、2人は何気ない会話の中に、「お互いの共通点」を見つけて、通じ合わせます。それは、お互いの共通点を明確に認識し合ってではなく、動物としての本能によるものです。
結珠は毎日塾通い。行動には、母親の目が光ります。放課後に自由はありません。一方、果遠は、母親のオーガニック志向で、給食はダメ、おやつは当然ダメ、体は酢で洗うなど、普通の子どもが楽しむようなことはさせてもらえない。
しかし、7歳と言う年齢では、母親から逃れて暮らすことはできません。虐げられようが母のそばにいたいと願う年齢です。そのため、2人は、それぞれ、窮屈さを感じながらも「母の抑圧」を受け入れていました。
特に、結珠は母との関係に大きな問題を抱え、大人になっても苦しみます。そして、同じ母親の元、一緒に育った弟・直の悲しみをも受け止め、母に抵抗し、さらに、打ちのめされます。
「贅沢な話でしょ。かわいがらなかったけど、ちゃんと世話はしたじゃない。ごはんも洗濯も掃除もひととおりやってあげたのに、まだ不満?」(略)
「結珠はいつもお利口で、聞き分けがよくて、大人の顔色を窺いながら何も言わないの。いかにも、私耐えてますって顔で黙ってるだけ。そういうところがいやだったのよね」(略)
「どうでもいい男※と結婚して、結珠を産んだ時は空しかった。この子はあの子じゃない、としか思えなかった。これから何不自由なくぬくぬく大きくなっていくんだって想像したら憎たらしかった。それでも私なりに我慢はしてたんだけどね」
※結珠のお父さんのこと。職業は医師。母親は後妻
読者は、「裕福な家庭に育っても、幸せとは限らない」ことを痛感します。愛、そして、自由が大事なことをー。
「3つの時代」出会いと別れ
あらすじでも述べた通り、2人は、7歳での出会いと別れの後、15歳・29歳で再開します。
成長と共に、境遇は変わります。子どものころ裕福な家庭に育ったかといって、成長して裕福で幸せとは限りません。また、子どものころ、貧乏な家庭に育っても人生を切り開くことはできます。
結珠も果遠も、成長と共に生活環境、考え方、そして、互いへの想いを変化させていきます。そこには、生きていてよかったと思える素晴らしい体験もあれば、心がすり減る心の痛みもあります。
人生って、こういうことだよな…と、ストーリー全体を通じて、しみじみさせられます。
格好つけても仕方ない、真の自分をさらけ出せる関係
いつも一緒にして、楽しく過ごす相手だけが友達と言うことではありません。
結珠も果遠が一緒にいた時間は、人生の中で長い時間ではありません。しかし、7歳・15歳・29歳で互いに対する思いを変化させながらも、強烈に惹かれ合います。
それは、互いに結婚し、家族と言う最も近い存在を手にしても同じ。家族とはまた別の存在として、そして、距離を保ちながらも、心の奥で求め合います。特にはその思いが心の支えとなり、そして、ある時には、その思いが痛みにもなります。
同性愛も感じていますが、一方で、GL・BLのようなべったりとした関係とは一線を画す。その関係は、友達以上。しかし、それ以上と言うには難しい関係です。
幼少期の母に対する葛藤・憎悪をベースに、自分の知られたくない自分を多賀にに知る心の奥底でつながった関係。
人は再開すると、自分をよく見せたい・カッコよく見せたいと自分を偽ってしまう自尊心の生き物ですが、「自己を偽り、恰好をつけてもしょうがない」と、真の自分をさらけ出せる関係」。
幼少期からの互いの人生を知る二人だからこそ、「育まれた関係」が、この物語を、美しくも切なくしています。
女性同士の四半世紀・半生を描く作品
本書を読んでいて、同じように女友達との四半世紀・半生を描く、心に響く作品を思い出しました。
どちらの作品も、大事件が起こるわけではありません。「幸せになりたいと願いながら、悩み・苦しみ、それでも、自分に大切なものを手に入れよう・守ろうとする女の半生」と、その人生の傍らにあった「友との関係」がつづられます。
どちらも、「人生はこんなものしれない。でも、それでも人生は素晴らしいのだ」と思わせる力がある作品です。是非、合わせて読んでみてほしいです。
最後に
今回は、一穂ミチさんの小説『光のとこにいてね』のあらすじ・感想を紹介しました。
本当に美しく切ない小説です。美しい情景描写にも、心奪われます。
- 「自分の人生を生きる」ということ
- 「タダ仲良しくしていることが、友達ではない」こと
- 「人を愛する」ということ
いろいろなことを考えながら、本書を読んでみてください。