- 地域医療を支える誠実な医師の物語
全4部構成で、死と向き合う医師の姿を描く静かで深い物語。古代ギリシャの哲学者エピクロスの思想を通じて、「幸福とは何か」を問いかける。 - 著者の経験が生む深み
日々「命」と向き合う現役医師である著者が、「医療だけでは人は救えない」という前提のもと、哲学も交えて〈本当の幸福とは何か〉を深く探究した結晶のような作品。 - 静かだが、心の奥に染み入る感動
物語の随所に、読者の心に静かに響く言葉が散りばめられている。本屋大賞ノミネートにふさわしい物語。
★★★★★ Audible聴き放題対象本
『エピクロスの処方箋』ってどんな本?
2026年本屋大賞にノミネートされた『エピクロスの処方箋』。
現役医師であり作家でもある夏川草介さん。
本作は、前作『スピノザの診察室』続く医療小説。
「どう生きるか」「何を幸福と呼ぶのか」という、人生の根源的な問いに迫る、哲学書のような深い物語です。
物語が描くのは、病と向き合う医師の姿だけではありません。
死を前にした患者と家族が見せる弱さ、とまどい、後悔、そして温かさ——。
私たち誰もが抱える感情を丁寧にすくい上げながら、「幸福とは何か」を問いかけてきます。
本作は、医師として日々「命」と向き合ってきた著者が、「医療だけでは人は救えない」という前提のもと、哲学も交えて〈本当の幸福とは何か〉を深く探究した、まさに結晶のような作品です。
そして同時に、現在の医療現場が抱える問題——人員・体制といった制度面、医師一人ひとりの姿勢 など
医療の影の部分までも浮き彫りにしています。
本作は、感情を揺さぶって涙を誘う「泣ける医療小説」ではありません。むしろ、静か。
しかし、物語の随所に、読む者の心を『静かに』『確実に』『深く』揺さぶる言葉が散りばめられています。
誠実な主人公の姿勢は、地方病院の若手医師の成長を描いた 『神様のカルテ 』シリーズにも通じますが、
本作ではさらに一歩踏み込み、より深い精神性と哲学性が描かれています。
物語は本作単体でも完結しており、初めて夏川作品に触れる方にもおすすめです。
静かで重厚、そしてどこまでも誠実。
本屋大賞ノミネートにふさわしいこの物語を、ぜひ多くの人に味わってほしい——
そう心から思わせてくれる一冊です。
『エピクロスの処方箋』あらすじ
主人公は、まもなく40歳を迎える内科医・雄町哲郎。
かつては大学病院で将来を嘱望された優秀な医師でしたが、
若くして亡くなった妹の子を引き取り、今は、地域病院で、地域医療を支える日々を過ごしています。
そんなある日、彼の力量を高く評価する大学准教授・花垣から、難しい手術を依頼されます。
患者は、因縁のある飛良泉教授の父親でした。
大学病院を去る若手医師に苛烈な態度を取り続けてきた教授。
その姿勢の裏には、大学病院を中核に過疎地を含む医療体制を守ろうとする、強い覚悟からのものでした。
過去の因縁、元同僚との軋轢、医局との複雑な関係。
さまざまな問題を抱えながらも、哲郎は困難な症例に真正面から向き合っていきます。
物語は全4章構成。死の間際にある患者とその家族との交流が、静かながらも深い人間ドラマとして描かれます。
医師としての葛藤。
患者に寄り添う責任。
自らの過去との対峙、そして、亡き妹に代わり、甥の幸せを願う想い。
それらすべてが、エピクロスの哲学と重なり合いながら、「幸福とは何か」という問いへと収束していく——。
本作は、医療と人生を見つめ直す物語です。
エピクロス哲学とは—— ゴールは「心の平和」
本作では、エピクロスの思想が物語の中核を成しています。
「エピクロス」は、紀元前3世紀に生きた古代ギリシアの哲学者。
「人はどうすれば穏やかに、幸福に生きられるか」を生涯探究した人物です。
ここでは、調べた内容も踏まえて整理してみます。
エピクロスが考えた“幸福”
エピクロスは、幸福には、以下が必要と考えました。
- 心の平安(アタラクシア)
- 不安や恐怖、怒り、嫉妬に振り回されないこと
- 他人と比較せず、未来を過剰に心配しないこと(お金や名声ではない)
- 身体の安定(アポニア)
- 痛みや病気がないこと
- 豪華な生活は不要で、必要なものがあり、健康であれば十分なこと
- 友情の大切さ
- 人は一人では、不安に飲み込まれてしまう
- 信頼できる仲間の存在が、心の安定のためにも必要
エピクロスは、死への恐怖も否定しています。
本作は、その思想を、以下のような物語として描き出し、「生」と「死」の意味を問いかけます。
- 無理に生にしがみつかなくても、「これでよかった」と言える死があること。
- 「死の間際」にあっても、人を想う幸福があること
誤解されがちな「快楽主義」
エピクロス哲学とは—— 不安を減らし、心穏やかに生きるための哲学です。
エピクロスは「快楽主義の祖」と呼ばれることで、誤解されがちです。
この“快楽”は、贅沢や刺激を意味するものではありません。
彼は「苦しみや不安のない、穏やかな心の状態」こそ、本当の幸福につながると考えました。
泣いたり怒ったりはもちろん、興奮や激しい喜びも安定を損なうから避けるべきだと考えたのです。
- ✖ 刺激的な快楽:一時的で、後に苦しみを生む(浪費、暴飲暴食、名誉欲など)
- ○ 静かな快楽:長く続き、心と体を安定させる(友情、節度、健康、安心)
【考察】『エピクロスの処方箋』——タイトルに込められた意味
ここで、タイトル『エピクロスの処方箋』に立ち返ってみます。
本作は、単なる医療小説の枠を超え、読む者の倫理観や人生観にまで深く踏み込んでいきます。
とりわけ印象的なのは、主人公・哲郎の視点を通して描かれる「幸福」のあり方です。
本作では、苦しみを和らげる指示書としての「処方箋」が2方向から重ね合わされています。
- 医師の処方箋 —— 身体を治す医療
- エピクロスの処方箋 —— 心を救う哲学
作中に登場する患者や医師たちは、多くの場合、病そのもの以上に、
過剰な欲望や競争意識が生み出す——不安、後悔、孤独、恐れ、比較への執着——に苦しんでいます。
彼らに必要なのは「身体の薬」だけではありません。
むしろ、人生では「心の薬」を必要とする時間の方が長いと言えるでしょう。
身体と心、その両方を癒すための「人生の処方箋」。
そう捉えたとき、このタイトルの意味は、静かに、しかし確かに胸に響いてきます。
【感想】琴線に触れる言葉
本作には「琴線に触れる言葉」が随所に散らばっています。
その中から、印象的なもの3つに絞って抜粋して紹介します。(内容はかなり省略しています)
薄れゆく倫理観・増大する傲慢さ
俺は確かにお前のその知識や技術を高く評価している。 しかし、それ以上にもっと大切なものを伝えてくれることを期待しているんだ。お前さん風に言えば、哲学とでもいうべきものさ。
お前も知っての通り、現場は慢性的に医師不足だ。昼間、私も休日や夜間に働ける医師が決定的に足りていない。だが、そういう厳しい現実を、自分とは関係のない問題だと考える若い連中が増えている。
頭が悪いわけじゃないんだ。みんなよく勉強しているし、知識も豊富に持っている。だが、山のような情報を頭に詰め込んでいる代わりに、医師としての基本的な理念が弱くなっているように俺には見える。
知識の技術なんてものは、本人の努力次第でいくらでも身に付けていける。だが、倫理は哲学って領域は先導者が必要だ。
人が自分の権利ばかり口にするのは、自分一人で生きていけると思っているからです。
でも、人生はそんなに甘いものじゃない。
生きていくことの悲しみを知っている人間は、理由などなくても誰かの力になりたいと思うものですよ。
世代を問わず、職業を問わず、現代社会は「効率」や「成果」を最優先する風潮に覆われています。
その結果、人としての在り方や倫理が後回しにされている現実は、否定できません。
だからこそ、「倫理の先導者」たちの言葉は、いま一層重みを持ちます。
私たちはもっと彼らに耳を傾け、学び直す必要がある——
私たちは、書籍の開けば、簡単に先導者の声を聴くことができます。
哲学の本、もっと意識して読みたいと思います。
幸福と快楽
幸福とはなんなのか?今日の人類の前に立ちはだかる最大の難問の一つだ。
過ぎ去った時間を振り返って、あの頃は幸福だったと思うことはよくある。
年齢さえ若ければ、想像力を羽ばたかせて幸せの未来像を描くことだって難しくない。
でも、今という時間に幸福を見つけることは、意外なほど難しい。美味しいものを食べに行ったり、豪華な旅行に出かけたりするのは、そうすることで幸せだと感じるからだろう。だけど、そこにあるのは、実は幸福とは少し違う種類のものじゃないかと思うんだ。
あえて言葉にするなら、快楽とでもいうべきものかな。幸福と快楽とはとても似ている部分があるが、実際は異なるものだ。
快楽の多くは、お金さえあればすぐに手に入れることができる。
でも手に入ったとたん、また次が欲しくない。
そして人間は果てしなく快楽を追い求めて走り続けることになる。
こいつは幸福とは随分かけ離れた状態だと私は思うんだ。
とても深いセリフです。
この言葉は、私に「快楽」を「幸福」と取り違えてしまう危うさに気づかせると同時に、
時には立ち止まって、「本当の幸せとは何か」を自分に問いかけることの必要性を教えてくれます。
では、私にとっての幸福とは何なのか——。
ふと思い浮かぶのは、サウナ・水風呂後の “ととのいタイム”(瞑想)です。
この時間は、心も体も澄み渡り、穏やかさに包まれながら、ただ「今」を感じる感覚があります。
この感覚の中では、自分の暮らし・幸せが、多くの人の支えによって成り立っていることに、自然と感謝の念が沸きます。何事もなく一日を終えられること自体が、どれほど尊いことなのかを実感する瞬間でもあります。
エピクロスが追い求めた「平安」とは、こうした感覚に近いなのかもしれません。
今を受け止め、今に感謝して生きること。
その姿勢を、これからも大切にしていきたいと思いました。
最後に
『エピクロスの処方箋』は、医療小説の枠を超え、人生そのものを静かに見つめ直す力を持った作品です。
主人公・雄町哲郎の姿を通して、私たちは「幸福とは何か」という普遍的な問いに向き合わされます。
本屋大賞ノミネートにふさわしい重厚で誠実な物語。
ぜひ手に取って、その深みを味わってください。
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