- 「健常者の特権」を痛みをもって突きつける芥川賞受賞作
障害者の視点から、健常者が無自覚のまま享受している「特権」を鋭く描き出す。行動の制限、絶え間ない身体的苦痛、社会からの疎外──健常者には決して書けない日常のリアルが、容赦なく迫ってくる。 - 肉体の痛みは、精神を歪め、尊厳を削る
ただ生きるために壊れていく体。絶え間ない痛みと社会的疎外感が、自己否定と「ねじくれた思い」を生み出していく。その過程はあまりに生々しく、読む者の感情に直接触れてくる。 - 唐突&予期せぬラスト
賛否の分かれる結末。しかし「よく分からなかった」で終わらせず、なぜこの終わり方なのかを考えること自体が、本作を深く読む体験になる。読後に残る問いこそが、この小説の核心である。
★★★★☆ Audible聴き放題対象本
『ハンチバック』ってどんな作品?

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私の身体は、生き抜いた時間の証として破壊されていく。
生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として壊れていく——。
第128回文學界新人賞を受賞し、選考会に強烈な衝撃を与えた、市川沙央『ハンチバック』。
「ハンチバック」とは「せむし」、背中が大きく曲がった人を指す言葉です。
読者に覚悟を求められるようストーリーで、読後もしばらく言葉を失う、強烈な短編小説です。
村田沙耶香、金原ひとみといった作家たちが絶賛したことでも話題になりました。
『ハンチバック』あらすじ
主人公は、親が遺したグループホームの一室で暮らす、40代の重度障害者・井沢釈華。
背骨は極度に湾曲し、歩行も、入浴も、排泄も、ひとりではできません。
親の遺産があり、経済的には困っていない。
しかし、社会から切り離されたような孤独と疎外感の中で、釈華は生きています。
彼女は、会的な疎外感を紛らわすため、お金憶的でエロ・18禁ティーンズラブ小説を書き、
その稼ぎを暮らしに恵まれなかった人に全額寄付する生活を続けています。
しかし、それでも、心は埋まらない。
その埋まらない心を満たすため、誰にも読まれない匿名のTwitterで、自分の本音を吐き出していました。
「妊娠して、中絶したい」
そして、グループホームで働く介護士・田中に、
1.5億円と引き換えに精子提供を依頼するという、常軌を逸した計画を実行しようとするのです。
📌以下、ネタバレを含む「私の感想・考察」をまとめていきます。
ハンチバックが描くもの──「健常者の特権」
本作は、障害者の視点から、健常者が無意識に享受している特権を、極めて鋭く描きます。
- 誰の手も借りずに、自分の身体を自分で動かし、生活できること(行動の自由)
- 身体の痛みなく、生きられること(身体的苦痛)
- 「障碍者」という目で見られないこと(社会的疎外)
これら、健常者が当たり前に持つ特権が、どれほど暴力的に奪われているか。
以下の釈華の言葉は、読者を容赦なく打ちのめします。
生きるために壊れる、生き抜いた時間の証として破壊されていく。
作品の中で、釈華は何度も自分を「私はせむしの怪物だ」と呼びます。
背中の歪みだけでなく、心までも同じようにねじれてしまったのだと、彼女は自らを断じるのです。
肉体の痛みは、精神を歪め、、幸福感を奪い去ります。
さらに、着替えも、排泄も、入浴も、他者の手を借りなければならない日常――
常に自分の恥部をさらしながら生きることは、人が本来持つ「自尊心」を確実に浸食します。
肉体の痛みは、精神を歪め、尊厳を削る。
そして、「生」と「性」の欲望を、極端なかたちへと変貌させる様を、著者は描き出すのです。
こうして生まれた心の「ねじくれ」こそが、この作品全体を貫く、もっとも重要なテーマです。
歪んだ「生」と「性」
- 普通の女のように子どもを宿して、中絶するのが私の夢。
- 私の心も、肌も、粘膜も、他者との摩擦を経験していない。
生まれ変わったら高級娼婦になりたい。
金で摩擦が遠ざかった女から、摩擦で金を稼ぐ女になりたい。 - モナ・リザを汚したくなる。
壊れずに残って古びていくことに価値のあるものたちが嫌いだ。
なぜなら、私の体は、生きれば生きるほど私の身体はいびつに壊れていくから。
釈華のこうした「ねじくれた思い」には、生きることからも、性からも排除され続けてきた者の、
あまりにも歪んだ、しかし切実な願望が凝縮されています。
彼女が「性」に渇望していることも、快楽ではなく、
異性と心身ともに触れ合いたいという、ただ一度の「経験」なのかもしれません。
この一連の「ねじくれた思い」には、
- 優生思想
- 中絶の是非
- 障害者の生殖の権利
- 「生まれてくるべき命」とは何か
といった、極めて重いテーマが凝縮されています。
つい30年前まで存在した差別法律「優生保護法」。そして、現代における出生前診断と中絶の問題。
社会は、形を変えながらも、障害者の「生」と「生殖」に対して、今なお残酷であり続けています。
だから、釈華は、「殺すために孕もうとする障害者がいてもいいんじゃない? それでやっとバランスが取れない?」と考えるのです。
この「ねじくれた願望」は、決して単なる異常行動ではありません。
それは、障害者が否応なく追い込まれてしまうもの。
市川沙央という書き手が、自身の生の苦悩を通して、読者に真正面から突きつけてくる、痛切な訴えです。
お金で「生」と「性」を買うということ
1.5億円と引き換えに精子を求める釈華。金のためにそれを引き受ける田中。
ここでは、
- 障害者と健常者
- 金を持つ者と持たない者
- 男と女
あらゆる権力関係がむき出しの言葉で描かれます。性行為シーンまでもが。
読んでいて、何度も息が詰まります。しかし、この不快さこそが、この作品の核心です。
「金のない健常者の男」は、「親の遺産で生きながらえている金があるが障害者である女」に強烈な蔑みを含んだ言葉や態度を見せます。そして、釈華は多くを考え、そして読者も考えさせられます。
心抉られる言葉
田中さんは金のためと割り切って重度障害女性の入浴介助に入り、見たくもない奇形の身体を洗っている時も、金の塊を磨いているつもりだったのだろう。親の遺産で生きている私という人間が不労所得の金の塊にでも見えているのだろう。
「健常者の精子じゃないと嫌なんですか?」なかなか痛いところを突かれた。ただの嫌味のわりに、障害女性のコンプレックスの本質に接続してくる問いだ。
一匹、いくらくらいしたんだろう。 ……メダカじゃあるまいし。
涅槃の釈華──宗教的モチーフ
主人公の名「釈華」、偽名アカウント「紗花」。
仏教の釈迦、キリスト教の聖書の引用。そして、「涅槃の釈華」という言葉。
「涅槃」という言葉を調べると
- あらゆる煩悩ぼんのうが消滅し,苦しみを離れた安らぎの境地。究極の理想の境地。悟りの世界。
- 死ぬこと。また,死。入滅。一般に釈迦の死をいう。
一方、キリスト教にとって、中絶はNGです。
救済なのか、死なのか、それとも、神に逆らう罪深きものなのか——
釈華の行為は「罪」とも、「祈り」とも読み取れます。両方の意味を込めたのかもしれません。
物議を醸す最終章──どう読むか
本作の最後は、突然、場面が転換。
性風俗で働く大学生・紗花が、気持ち悪くて、いけ好かない客と性交渉するシーンで幕を閉じます。
あまりに唐突&予期せぬ終わり方に、唐突な終わり方に、読後しばらく呆然としました。
——この結末を、どう受け止めればいいのか🤔
紗花は、過酷な人生を背負った若者です。
グループホームに勤めていた兄が病気の女性を殺害したことで、母は精神を病み、家庭は崩壊。
学費を稼ぐため、彼女は性風俗で働いています。
ここで重要なのは、「紗花」が「釈華」と正反対の位置にいるという点です。
「紗花」には金はない。しかし、身体は自由で、「普通に生き」、「普通に性交渉ができる」娼婦。
この対比から、私は一つの解釈に思い至りました。
——釈華は輪廻転生。ねじくれた願望を叶えて、「紗花として生まれ変わった」のではないか、と。
答えは明示されません。その判断は、すべて読者に委ねられています。
最後に|読む人を選ぶが、忘れられない一冊
『ハンチバック』は、好き嫌いがはっきり分かれる作品です。
しかし、間違いなく、市川沙央さんが、魂を削って書いたことが、はっきり伝わってくる小説です。
不快。過激。理解できない。そう感じる人も多いでしょう。
それでも私は、「頭を混乱させ、違和感を残す本」が嫌いではありません。考えるからこそ読書が深まります。
この本は、読み終わってからが本番です。
あなたは、どう読みましたか。ぜひ、感想を聞かせてください。
本作を歴代の芥川賞・直木賞受賞作は以下で紹介しています。
本作を絶賛した村田沙耶香さん、金原ひとみさんも芥川賞ん受賞者。
同じく、「人の痛み」は「社会の歪み」を描いた作品で章を受章しています。それぞれ、一読の価値がありです!
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