- 『枕草子』の凄さは、1000年通じる本音全開のぶっちゃけ話。現代人をも共感させる!
- 『枕草子』は清少納言が仕える中宮・定子が、道隆の死・兄弟の左遷などで没落していく中で描かれた。
- 『枕草子』は清少納言が中宮・定子への敬愛の証。定子様の栄華を作品にして後世に伝えた。平安時代の藤原氏の権力争いと共に理解すると、より深く、作品が楽しめるし、平安時代もよくわかる。
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『本日もいとをかし!! 枕草子』ってどんな本?:あらすじ
2024年 NHK大河ドラマ『光るの君へ』。
主人公の紫式部に対して、ライバルとされるのが清少納言。清少納言の代表作と言えば『枕草子』。四季の美しさを詠った『春はあけぼの』が有名ですが、その他のエピソードも清少納言の観察眼がキラリと光る、ぶっちゃけ過ぎの「ド・共感エッセイ」だということをご存じない方は多いのではないでしょうか。
「今カレが元カノの話をするのって、悪気ががなくても腹立つ!」
「来るはずのカレを待って一晩中起きてたのに、気がついたら、昼間で寝てた…」
「めんどくさい女は大嫌い!図に乗るガキも憎たらしい!」
「人との競争に勝つと超うれしい♪ 特に、男に勝ったときは!」
女同士の本音と建前、恋人との駆け引きなどなど、満載現代人も激しく同意できるエピソードのオンパレードです。この『枕草子』を、現代人にもわかりやすく紹介してくれるのが、小迎裕美子さんの 『本日もいとをかし!! 枕草子』です。
1000年前の人も、現代人と変わらないことに親近感が湧き、歴史も面白く感じられます。
- 清少納言の人物像を知りたい方
- NHK大河ドラマ「光る君へ」をより面白く&深く楽しみたい方(ドラマとの違いに注目)
- 平安文化を今まで以上に楽しみたい方
まず、押さえたい!清少納言&紫式部の人物相関
清少納言(ナゴン)を理解するために、まず押さえたいのが「人物相関図」です。ここがわからないと、面白さ半減します。
ポイントは「藤原家兄弟」と「2つの宮中サロン」
ポイントは、道長の父・藤原兼家亡き後の、「藤原家兄弟の権力闘争」&「一条天皇を取り巻く2つの宮中サロン」です。
- 定子サロン所属 「清少納言」
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- 定子17歳の時に、14歳の一条天皇の中宮(正妃)に
- 定子は、3歳年下の天皇の心をたちまち虜にしてしまう
- 清少納言の登用は、定子が文学好きな一条天皇にのために教養UPを図るため
- サロンの雰囲気は明るく、ポジティブ。清少納言がムードメーカー
- 定子の父は長男・道隆。父も美形
- 酒豪で関白の道隆が病死し、定子は大きな後見を喪う
- さらに、実兄が天皇家の人々を標的とする暗殺事件を起こし、サロンも⤵
- 定子は一度出家。しかし、天皇の愛執ゆえにより再び宮入り
- 定子は、一条天皇の第3子を出産した床で24歳の若さで死亡
- 彰子サロン所属「紫式部」
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- 天皇の外戚になるため、道長は、幼い「彰子」を一条天皇の妃に嫁がせる
- 紫式部は清少納言が内裏を去った5年ほど後に宮仕え ※二人に面識なし
- 彰子がお手付きになって、男子を生むのは随分後の話
- 道長は彰子に子がなかなか生まれないことで、長い間、気をもむ
一条天皇の寵愛を受ける定子を、最高権力者となった道長は露骨にいじめたともあるので、権力闘争はなかなか壮絶だったのでしょう。
道長の父・藤原兼家亡き後の、「藤原家兄弟の権力闘争」&「一条天皇を取り巻く2つの宮中サロン」については、永井路子著『この世をば』を読むと、その流れが面白く描かれています。
『この世をば』では、道長は、人をかき分け上に上り詰めようとする権力者といった風ではなく、NHK「光る君へ」同様、平凡な三男・道長が、いろいろ苦悩しながらも、周囲の人(特に女性たち)に支えられ、さらには、運も味方となり、覇権を取っていく様が描かれています。
下巻では、左大臣の座を勝ち取った後の道長の人生が描かれます。NHK大河ドラマ同様、左大臣に上り詰めた道長は、若かりし頃とは性格が変わっていきますが、『この世をば(下)』とは性格に違いがあります。このあたりも読んでみると面白いです。
清少納言と紫式部はライバル?
単に人物相関を把握するだけでなく、時間軸も理解しないと、時代背景が理解できない点には注意が必要です。
清少納言と紫式部はライバルと言われますが、紫式部は清少納言が宮中を去ったころに、彰子サロン入りをしているので、2人は面識がありません。
清少納言にしてみれば「紫式部なんて、知らんがな。」
一方、紫式部は、清少納言を敵対視。清少納言は『枕草子』の中で、紫式部の夫・藤原宣孝が、TPOをわきまえない服装で参詣したことを、「ダサッ!」とこき下ろしています。また、知識をひけらかさないことをモットーとする紫式部には、清少納言が枕草子で知識をひけらかし、しかも、その内容が間違っていることが許せません。さらに、枕草子は、定子サロンの栄華しか描かれていないことにも苦言を呈しています。
道隆の死後、道隆家が力を失い、また、一条天皇の寵愛を受けながらも24歳という若さで亡くなった定子の悲劇を知っている紫式部にしてみれば、「枕草子は定子のリアルとかけ離れた嘘だ!」と見えても致し方ないかもしれません。
このようなことから、紫式部は『枕草子』を酷評しています。
清少納言の人物像
紫式部が陰キャだったのに対し、清少納言は陽キャ・ポジティブです。
- 勝気で陽気
- 思ったことをすぐ口に出す、一言多いタイプ。毒舌家
- 人生に負けはない
- 容姿にコンプレックスがあったからこそ美意識も高い
- 人があまりとりあげないものをわざと選んで記す
- お父さん子。ひい叔父さんもお父さんも有名な歌人
陽気で負けず嫌いで、男性貴族たちを相手に機知的な受け答えをして、評判となることも。一方で、イケメン好き。宮中ラブロマンスもそれなりに楽しんだようです。枕草子には「男女の仲」に関する作品もたくさんあります。
紫式部の人となりと対比して知っておくと、理解が深まるし、何より、面白いです。
清少納言が『枕草子』を執筆した経緯
清少納言が枕草子を執筆するきっかけは、主君である藤原定子から、当時非常に貴重であった紙を頂いたことです。本作にもその様子が紹介されています。
清少納言は、藤原定子が兄・藤原伊周(ふじわらのこれちか)より紙を献上された際に、「これに何を書けば良いのかしら」と尋ねられたので、「枕でございましょう」と即答したところ、「それならあなたにあげましょう」と定子から大量の紙を頂戴します。
清少納言はこの定子から頂いた紙に、「枕草子」を執筆することになりました。
ただ、現代人には、会話の中の「枕」の意味がよくわかりませんね。諸説あるようですが、現代でも真偽のほどは定かにはなっていません。
諸説の一つは、中国・唐代中期を代表する漢詩人のひとり、「白居易」(はくきょい)の詩文集にある「書を枕にして眠る」という一文を引用したとする説です。定子は、清少納言の機知に富んだ答えを気に入って、貴重な紙を清少納言に与えたと考えられています。
名著『枕草子』、なぜ支持される?内容とあらすじ
枕草子は、清少納言が宮中生活で遭遇した体験を、後宮女房の立場で感じたことを記したエッセイです。
エッセイと言っても完全個人エッセイではないのですが、陽キャな清少納言の人物像が浮かび上がる作品が並びます。ぶっちゃけトーク全開で、読むものを楽しませてくれます。
- ぶっちゃけトーク満載!現代人にも「わかる~」と言わせるド・共感
- 切れ味が良く、表現豊か
- 毒舌的だが、批判を承知で言い切る潔さがある
- 1000年前に生きた人も、現代人と同じように、ブーブー言ったり、イラついたり、トホホな思いをしたり、恋にときめいたりしていたことがよくわかる
上記を知って、『春はあけぼの』を読み返すと、「わかる~」という共感も強く感じられるのではないでしょうか。
その他、共感エピソードの一つを掲載。
その他、こんなエピソードも。
今付き合っている女がいるのに、元カノを褒めちぎる歌ばかり読む男っていない?それから、扉を開けっ放しでいっちゃう人って、マジ耐えられないんだけど。今考えると気が狂いそうだから、明日考えようと。
いやもうこれ、現代女子も絶対共感!ほんとにおもしろい!
平安時代は、男性が女性の家に通うのが常識で、明け方に人に見られないようにそっと帰るのが通例。しかも、男性はそういう通い先が複数あり、女性も複数の通いを受け入れる。いや~、なんとも、平安時代は「性の自由」が爆裂してますね。
最後に
今回は、小迎裕美子さんの 『本日もいとをかし!! 枕草子』からの学びを紹介しました。
『枕草子』は定子サロンが華やかなりし時代のことしか描かれていません。サロンの記録としては不十分です。しかし、枕草子の中の定子は美しく、そして、笑っています。定子に仕える女房として、「定子の輝かしい姿のみを後世に書き残した」と考えると、清少納言の定子に対する「敬愛」の念を感じずにいられません。
清少納言の定子に対する「敬愛」を描いたのが、『はなとゆめ』。こちらは涙が出る感動作。もう、道隆が亡きあとの定子を襲った悲劇、清少納言の定子に対する愛に泣けます。
NHK 光る君へ を楽しむために、紫式部関連の本を複数冊読んでいますが、今まで平安時代は面白くないと思っていたのは、単に、私が関心を払っていなかっただけだということを痛感しています。
知ると、超面白い。人間って面白いなぁと。