- 母を作りたいんですがー
舞台は個人が自分の「死」の時期を選ぶことのできる「自由死」が合法化された近未来の日本。AI+VRで最愛の人の心が再現された時、人は何を見つけ、何を失うのかー - 本作のベースとなるテーマは、著者の平野啓一郎さんが大事にする「分人」という概念。そこに「テクノロジーの進化」「格差」「自由死」といった問題を見事に融合、テクノロジーが進化した化社会の”功罪”を鋭く描く
- 作品の内容が深く、哲学的。読者は、人間の存在、人の本心、他人との関わり方など、多くを深く考えさせられる
★★★★☆
Audible聴き放題対象本
『本心』ってどんな本?
2024年11月8日から映画公開となった『本心』。以下のように告知される映画です。
《人間の存在》を揺るがす、傑作小説の映画化!
「リアル・アバター」という代行業で糊口を凌ぐ青年・石川朔也は、事故で亡くした母親の「VF」の作製を依頼する。本物そっくりに再現されたAIの「母」との新しい生活を通じ、彼は、幸福だったはずの日々に「自由死」を願い続けた母の「本心」を知ろうとするが……。
なぜ母が”自由死”を選んだのか、知りたかっただけなのにー
テクノロジーが進化する時代を彷徨う人間の本質を描く、ヒューマンミステリー
原作小説は、平野啓一郎さんの同タイトル小説『本心』。上記に掲載したYoutube動画をご覧いただくとわかりますが、かなり、ドキッと心が揺さぶられる作品です。
小説家の平野さんは歴代の作品を通じて「分人」という概念をテーマとされていますがが、『本心』も最もコアとなるテーマは「分人」。
分人とはー
人は「分人の集合体」。人との関わりの数だけ分人が存在するという考え方です。現代では「自分探し」が話題となりますが、分人主義においては、そもそも、唯一の自分など存在しない。相手(他人)の数だけ、あなたも存在すると考えます
本作は、この「分人」以外にも、「近未来」を舞台に、「自由死」「テクノロジー(VR、リアル・アバター)」「格差」などがテーマとして盛り込まれ、技術が発展し続けるデジタル化社会の功罪が描かれます。
どんなに技術革新が進化し、価値観が変化しても、「最愛の死者にもう一度会いたい」という欲求は変わらず存在し、「愛する人(愛した人)の心=本心を知りたい」という欲求からは逃れられず、心を悩ます。
本作は、今からあまり遠くない未来、私たちが直面するかもしれない問題を読者に問います。《人の本心》について、深く考えさせられる哲学的な作品です。
さらっと読める作品より、深く考えさせられる作品が好きな方には、特におすすめ。私は好きです。
『本心』あらすじ ※ネタバレ含む
『本心』の舞台は、個人が自分の「死」の時期を選ぶことのできる「自由死」が合法化された近未来の日本。
テクノロジーが進化で以下のサービスが実現。リアルとバーチャルの境界が崩れ、人の価値観も変わりつつあります。
- VR(バーチャル・フィギュア)
- AI(人工知能)とAR(添加現実)の技術をベースに、仮想空間上に実現された会話できる「人間」
- ライフログをベースに、日々の人とのやり取りを学習し、進化する。
- リアル・アバター(という職業)
- 体を貸し出す職業
- 仮想空間のアバターのリアル版
- 依頼主が、カメラ付きゴーグルをつけた人(リアル・アバター)を遠隔操作で依頼することで、自分の体のように疑似体験ができる
- 依頼主の「不条理な依頼」も受け入れる必要がある。受け入れなければ、評価が下がる。評価が規定値を下回り、最悪は解雇となる
主人公は、リアル・アバターを職業とする29歳の青年・石川朔也。
半年前に母を失った悲しみ・喪失感を慰めるため、朔也はVRで生前そっくりの母を再生させることを決めます。「自由死」を望みながらも不慮の事故で亡くなった母に、なぜ、病気で動けないわけでもないのに、自分の寿命を終わらせる「自由死」を望んだのか、その<本心>知りたいという思いも強く持っていました。
VRでよみがえった母と接する中、朔也は彼の知らなかった母の思考・生活・交友関係を知ることになります。
日常会話での、母の会話に感じる違和感。
友人だった女性、かつて、ファンだった老作家から、聞き知る母。
まったく知らなかった母の顔に戸惑う朔也。これが母?こんなのは母じゃないー
さらに、母が自分に隠していた衝撃の事実、出生の秘密 を知る── ことになるのです。
三好との同居生活、同僚の逮捕、アバターデザイナーのイフィーとの出会い 等、朔也は、母の本心が何であるかを知る過程で、人と知り合い、新しい環境・価値観に触れます。そして、リアル・アバターという仕事を辞め、自分の人生を摸索します。
僕は、その声の響きに打たれ、自分は、こういう人たちと関わりながらいきていくべきなのだということを強く感じた。それは、僕自身が変わるためにも必要なことだった。
彼が、見つけた答えとはー。是非、本書で楽しんでみてください。
『本心』登場人物
小説に読むに当たって、これだけは押さえる必要がある登場人物です。
石川朔也 | 主人公。依頼者に身体を貸す「リアルアバター」が職業 |
---|---|
母 | 母を半年前に不慮の事故で死亡。生前「自由死」を望む。VRで仮想空間で生き返る |
野崎狩人 | VFの開発を行う技術者。朔也の依頼で母のVFを制作 |
岸谷 | 朔也の仕事仲間。不穏な仕事を請け負い、テロの犯人として逮捕される |
三好彩花 | 朔也の母が生前親しかった友人。過去のトラウマから他人に触れられない。 |
イフィー | 世界的に有名なアバターデザイナー。年収5億円。富裕だが、車いす生活 |
ティリ | 日本生まれのミャンマー人。コンビニのバイト中、朔也に助けられる |
藤原亮治 | 老人施設で生活する、朔也の母の愛読書『波濤』の作者 |
『本心』感想 ※ネタバレ含む
複数のテーマを見事に融合。進化したデジタル社会の功罪を鋭く描く
冒頭にも記載した通り、本作は、「分人」をベースに、実に多くのテーマ性を持っています。ざっと上げるだけでも以下のようなテーマが盛り込まれています。
分人主義 | 人は「分人の集合体」 人との関わりの数だけ分人が存在する つまり、“唯一の自分”など存在しない。人は他者性を持つ |
---|---|
テクノロジーの進化 | VR、リアル・アバター リアルとバーチャルの境界が崩れた社会 バーチャルの世界は、リアルの世界の自分が嫌いな人(貧困者、弱者)の逃げ場所・心の拠り所としても機能するが、しかし… |
格差 | 広がる所得格差 技術は金銭格差を縮めない。さらなる分断を生む 富める人は、ますます便利に生きられる お金があれば、人の時間はもちろん、人の体の自由すら買い、思いのままに動かせる |
自由死 | 個人が自分の「死」の時期を選ぶことができる 社会変化により、人の価値観も変わっていく しかし、変わってはいけない倫理もある |
ストーリーのあちらこちらに、進化したデジタル社会の功罪がちりばめられています。意識して読むと、本作からの気づきも多いはずです。
これだけ多くのテーマを無理なく融合させる平野啓一郎さん。「分人」というテーマを人生をかけて作品化している作家さんだからこそできる技。作家の力量を、是非、原作小説を読んで味わってほしいです。
平野啓一郎さんの最新作は、短編集『富士山』。こちらの作品も、短編ながらそれぞれの作品で「分人主義」がいい意味で、さく裂しています。こちらも多くのことを考えさせる作品で、おすすめです。
人は本当に他者の《本心》を聞きたいのかー
お母さん、そんなこと、言わなかったよ。
このセリフは、VRでよみがえった母が発したセリフに、違和感を募らせた朔也が発した、やるせなさが詰まったセリフです。
人は、最愛の人が持つ「他者性」を認められない。このことを端的に表すセリフで、読者はドキッとさせられます。結局、最愛の母を失った寂しさが埋められるのは、「母が自分に見せた母」ではならず、「母が他者に見せていた母」では満足できないのです。
VRの母は学習しながら進化しますが、その進化を復元ポイントに戻すなどの操作で操っても、虚しさが残ります。
前夜のやりとりを消去するために、母の性格を復元ポイントまで戻すことも考えたが、思い直した。僕だけが、あの悲しいやりとりを記憶していて、<母>の中から、その記録が消えてしまうことは寂しかった。
そう考えると、人は、本当に他者の《本心》を聞きたいのかーー が疑問に思えてきます。人は言葉やしぐさで、自分が相手に言わせたい言葉を言わせようとするところがあり、その言葉を聞いて安心するところがあります。でも、それって、他者の本心ではないですよね?
母はただ、子供が欲しかったのだった。「もう十分」と思いつめた果ての、一つの平凡な願望として。その欲しいものを、自分の体を使って生み出したのだ。僕は改めて、その単純な事実に感嘆し、目を瞠り、心から敬服した。
「リアル・アバター」という職業
依頼者の依頼に基づき行動する「リアル・アバター」という代行サービス業。未来にはこんな仕事もあるだろうなと思いながら、これもなかなか、難しい問題を孕む仕事だと、本作を読むと気づかされます。
依頼者ができないことを、代わって叶えてあげるという点では社会的意義があるサービスです。しかし、中には悪意ある依頼者が存在する…。「俺が金を出しているんだから」と、あまりに不条理な依頼をしたり、倫理に欠ける代行を押し付けてくる依頼者が出てくるであろうことが容易に想像できるからです。
倫理に欠ける行動をして、周囲に品格をとがめられるのは仕事の請負者であり、仕事の依頼主ではありません。それが、犯罪の場合もあります。もし、仕事を請け負う側が、軽犯罪になるとわかっていても、日々の生活にも困っていれば、一つの仕事で評価を落とし、最悪の場合、解雇されるというリスクをとりたくないと考え、「生きるため」「仕事を継続するため」に犯罪に手を染めてしまうかもしれません。
結局、弱者がわりを食う現実は、テクノロジーが進化しても解決できません。
一穂ミチさんの直木賞受賞作『ツミデミック』では、コロナを発端に新しい「罪」が続々生まれることを描いた作品ですが、本作は新しい「テクノロジー」が生み出す「罪」を描いていると感じた次第。本当に、テクノロジーは様々な功罪を生みますね。
主人公は、依頼者の意思で身代わりとなって動く「リアル・アバター」という職業についても、考えさせられることになります。
「自由死」の選択
個人が自分の「死」の時期を選ぶことができる「自由死」は、自由な選択が増えることを示すので、耳障りがいい。しかし、本作を読むと、非常に「合法化」が難しい制度であると再認識させられます。
人生を満足して生きた人が、「これで十分」と、「自分のいい時期に死ぬ」権利を有することは、病気で苦しみながら死ぬよりも、穏やかな死を選択できるかもしれません。
しかし、当然、その方を愛する家族・友人は、「なぜ、私を置いていくの?」と、自然死とは異なる悲しみを背負うことになります。
更に問題なのは、人生を絶望した人が、簡単に死を選んでしまう危険が高いことです。格差問題は資本主義下においては基本縮まることがありません。格差の結果として、経済的困窮、社会的孤独に陥る人が増えれば、人生を絶望して自由死を選ぶ人が増えないとは言えません。
リアル・アバターとして雇われる人/雇われる人 然り、多くのことが「お金」のありなしの問題に行きつく現状に、切なさを感じざるを得ません。生きたいけど生きられないー 弱者の《本心》が捻じ曲げられてしまう世界は不幸です。
『本心』心に残ったフレーズ
本作には、心に引っかかるセリフが色々あります。忘れないように書き留めておきたいと思います。
成長した主人公が「母(人)を理解する」ことについて、語ったフレーズです。
すっかりわかったなどと言うのは、死んでもう、声を発することが出来なくなってしまった母の口を、二度、塞ぐのと同じだった。僕は、母が今も生きているのと同様に、いつでもその反論を待ちながら、問い続けるより他は無いのだった。わからないからこそ、わかろうとし続けるのであり、その限りに於いて、母は僕の中に存在し続けるだろう。
「わからないからこそ、わかろうとし続ける」という言葉、とても深いです。人とかかわる上で大事にしたいです。
以下は、主人公が、経験から多くを学び、自分を見つけていく過程で発した言葉です。
何のために存在しているのか?その理由を考えることで、確かに人は、自分の人生を模索する。僕だって、それを考えている。けれども、この問いかけには、言葉を見つけられずに口籠ってしまう人を燻り出し、恥じ入らせ、生を断念するように促す人殺しの考えが忍び込んでいる。勝ち誇った傲慢な人間たちが、ただ自分たちにとって都合のいい、役に立つ人間を選別しようとする意図が紛れ込んでいる!僕はそれに抵抗する。
社会は人に試練を与えます。嫌な思いをすることもたくさんあります。だからこそ、考え、自分らしく生きるべく、行動しなければいけないのだと、認識させられました。
最後に
今回は、平野啓一郎さんの小説『本心』のあらすじと感想を紹介しました。
どんな技術が進化し、社会が変わろうとしても、大事なのは「心」。他人の《本心》を考えることで、自分の本心についても考えさせられる小説でした。自分と関係を持つ人たちの他者性を認めつつ、また、自分の《本心》を大事にする生き方に努めたいものです。
本書の内容はとても哲学的です。登場人物の内面にも深く切り込みます。映画ではストーリーをうまく切り取り、人間の本質を描くヒューマンミステリーとしてまとまっていると思いますが、映画の尺的に大事な部分のカットも多いと推察します。
映画をご覧になられた方も、是非、原作小説を読んでみてほしいと思います。
是非、原作も読んで、その深い部分を味わってみてほしいと思います。