- 小説に生成AIを使ったことで注目を集めた第170回芥川賞受賞作
- 架空の近未来で構想が進む地上71階建ての高層タワーの刑務所「シンパシータワートーキョー」と言葉の歪みを通じて社会の歪みを描く。
- 読了後の率直な感想は、「あ~、芥川賞っぽい」。近未来を通じて、現在の社会に既に存在する問題の芽や課題を「う~む」と考えながらじっくり読む小説
★★★★☆
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『東京都同情塔』ってどんな本?:あらすじ
『東京都同情塔』は第170回芥川賞受賞作。著者の九段理江さんが受賞会見で「全体の5%は生成AIを利用した」と発言したことで、話題になった近未来のパラレルワールドを描く小説です。
舞台は、ごく近未来の東京。現実世界では建設が白紙撤回されたザハ・ハディト案による新国立競技場が建てられ、それと対をなすように、新宿御苑の敷地に地上71階建ての高層タワーの刑務所を立てる計画が進んでいます。
社会では、リベラル化が進み、犯罪者に対する寛容論が浸透。生成AI「AI-Built」が人々の様々な質問に気軽に回答してくれます。
そんな近未来の東京で新刑務所のコンペに挑もうとしているのが37歳にして有名建築家の牧名沙羅。主人公の彼女がひらめいた高層タワーの名称は「シンパシータワートーキョー」(シンパシーとは、相手の感情や境遇に共鳴し、同意や同調すること)。しかし、彼女が付き合う22歳の美青年・拓人は、その名称は「おそろしくダサい」と率直な感想を述べ、直感で「東京都同情塔」とネーミングします。
拓人の言葉のセンスに驚き、その語の持つ意味・響きを反芻する牧名。そして、彼女は、巨費を投じる建築自体より、「言葉の持つ意味」と「変わりゆく日本人の言葉とその歪み」に頭を悩ませるのです。
物語は架空の近未来東京を描いたものですが、いくつもの問題を”暗”に呈します。主人公の考えや発言の中には、ドキリとするものも…
私の読了後の率直な感想は、「あ~、芥川賞っぽい」。純文学には何かしらの社会に対する違和感や問題提起が含まれていることが少なくありませんが、まさにそのような小説です。
ただし、第169回芥川賞受賞作『ハンチバック』ほど、現代社会の問題に対する指摘はストレートではありません。近未来を通じて、現在の社会に既に存在する問題の芽や課題を「う~む」と考えながらじっくり読む小説です。
- 文学賞受賞作、文学賞受賞作を読んでみたい方
- 近未来の社会について考えてみたい方
- 生成AIが当たり前になる世界
- 多様化が進む社会
- 時代の変化と共に変わる日本語について考えてみたい方
『東京都同情塔』:感想・考察
物語は架空の近未来東京を描いたものですが、いくつもの問題を提起しています。中でも中心となるのが「言葉(日本語)のありよう」です。
以下、ネタバレを多分に含みます。読書前の確認はご注意ください。
カタカナ化する日本語
バベルの塔の再現。
シンパシータワートーキョーの建設は、やがて我々の言葉を乱し、世界をばらばらにする。
上記は、本作の冒頭文。言葉が世界をバラバラにするという本作のテーマとも言えるフレーズで本作は始まります。「バベルの塔」とは、旧約聖書の創世記に出ている、伝説の塔。現代では、実現できそうもない空想的な計画のたとえとして用いられます。
日本人が、日本語をカタカナに置き換えることに大きな違和感を感じているのは、主人公・牧名
例えば、彼女の設計事務所名の「サラ・マキナ・アーキテクツ」。本人は「牧名沙羅設計事務所」でいいと思っていたのですが、秘書からそのネーミングでは国際コンペで通りが悪いと一蹴され、カタカナ名へ。また、設計図に「全性別トイレ」と記した箇所には、「ジェンダーレストイレ」と修正されます。
男性トイレ・女性トイレではなく「全性別トイレ」と記したのも、そもそもは、近未来社会では多様化が進み、様々なタイプの「性」が容認されており、「男性/女性」という言葉で表すことができないからです。
カタカナへの言い換えで進む「曖昧さ・無機質化・美化」
近未来社会では、社会では、様々な日本語がカタカナ化されています。
- 母子家庭の母親=シングルマザー
- 配偶者=パートナー
- 第三の性=ノンバイナリー
- 複数性愛=ポリアモリー
- 犯罪者=ホモ・ミゼラビリス …
この言葉遣いに関し、牧名は次のように考えるのです。
外来語由来の言葉への言い換えは(略)、不平等感や差別的表現を回避する目的の場合もあり、それから、語感がマイルドで婉曲になり、角が立ちづらいからという、感覚レベルの話もあるのだろう。迷ったときはひとまず外国語を借りてくる。すると、不思議なほど丸くおさまるケースは多い。
たしかに… カタカナにすることで日本語本来の意味が曖昧になる。しかも、カタカナ化することで、言葉が「無機質化」したり、「美化」される。例えば、「犯罪者」という言葉は言葉そのものが持つ批判力が強く、近親者に犯罪者がいる方の前では使いにくい言葉ですが、ホモ・ミゼラビリスなら、さらりと言えてしまう。
牧名がひらめいた「シンパシータワートーキョー」も同様。牧名にとっては、建物の設計が本業のため、建物のネーミングは余計な反発を避けるためにも、時流に従い、カタカナ名とにしたのですが、若い彼氏が感覚で提示してきたネーミング「東京都同情塔」に、はっとさせられます。
安易なカタカナ化。これって、「日本人が日本語を捨てたがっている」ってことなじゃいのかとー。
しかし、それは、何も今に始まったことでないことも指摘。「東京タワー」も公平な支持数で決めたなら「昭和塔」になっていたことを指摘します。もし、「昭和塔」になっていたら、令和の私たちは、東京タワーに「昭和の遺物感」を感じていたはずです。
言葉とは難しいものですね。著者は別の視点からも、「軽い言葉で済ます問題」を暗に指摘します(次節に続く)。
現代社会でも「超」「うける」「ウザイ」などの言葉が当たり前になったことで、語彙力が弱くなり、自分の気持ちを正確な言葉で伝えられない若者が増えていることが問題視されています。また、X(twitter)を代表に、表現は短くわかりやすくないとみてさえもらえません。
例えば、石井光太さんの『ルポ 誰が国語力を殺すのか』 では、 言葉が貧相な家庭では、会話に「ウザイ」「キモイ」「わからない」「無理」といった、考えなくて済む言葉が増え、それが、国語力の二極化(ひいては、貧富の二極化)につながっていることを指摘しています。
犯罪者は同情されるべき存在!?
現代社会でも多様化が叫ばれ、「差別が撤廃」される方向に社会は進んでいます。本作では「人の属性」に対する寛容さが、犯罪者にも及んでいます。そして、重い「犯罪者」という言葉も、軽い「ホモ・ミゼラビリス」という言葉に言い換えられています。
本作で「ホモ・ミゼラビリス」とは、「同情されるべき人々」という意味です。幸福学者「マサキ・セト」が提唱した概念で、犯罪者・非行少年は出自や境遇に恵まれず、それゆえに犯罪に手を染めざるを得なかった「同情すべき被害者」であるという思想がベースとなっています。
故、「シンパシータワートーキョー」に収容される受刑者も、被害者として、たとえ外に出られずとも、快適な生活が約束されるのです。素晴らしい最上階の眺望からは、下界の人々の生活を一望。そこで男女ともにコーヒーを飲んだり、本を読んだり、DVD鑑賞をしたりして自由な時間を満喫できる。そんな状況では、刑務所に入った人は、出所を望まなくなります。なぜって、税金で快適な生活が保障されるのですから…
この点も、著者が「行き過ぎた多様化・受容性」を暗に指摘する箇所です。
人間として自分らしく生きるために、人種差別・性差別、そして「性への嗜好」へ人類が肝要であることは大事だと思います。しかし、果たして、犯罪者は同情すべき存在なのでしょうか?
確かに、貧困・ネグレクトなど、家庭環境に恵まれず、その一部が犯罪者になる事実はあります。「ホモ・ミゼラビリス=同情されるべき人」という考えが「完全受容」される社会で、人が幸福になれるのか?
少なくとも今の私は全面賛同はできません。罰則があって、社会の秩序が維持されていることも事実だからです。多くの人は罰則がなくとも悪事を働かずとも、そうでない人がいれば、社会は大きく乱れます。
一方で、世論とは極めて移ろいやすい。昨日までAだ、と言っていたことが、何かをきっかけに、反対のBにコロリと変わるのが「世論」です。さらに、一旦、世論が出来上がってしまうと、反対の意見を言う人を批判し始めるのが「世論」の怖さでもあります。なんとも怖い…言えなくなるという怖さもあります。
「犯罪者容認論」もそのような危険を持っていると感じた次第です。「正しい」と思うことが口に出せない社会は怖いです。
生成AIと文学 ー 著者のAIに対する皮肉
AIが作ったものに芸術性はあるのか?現代社会では、小説・文学をAIに作らせることに関して賛否両論あります。
著者自らが5%は生成AIを利用したと認めていますが、作品のストーリーに「生成AIを用いて書くことに意味を持たせている」点はウマイ点だと思います。
本作では、生成AI「AI-Built」との会話が当たり前の世界。主人公と「AI-Built」の会話もストーリーに盛り込まれています。そして、一方で、以下のように評するのです。
訊いてもいないことを勝手に説明し始めるマンスプレイニング気質が、彼の嫌いなところだ。スマートでポライトな体裁を取り繕うのが得意なのは、実際には致命的な文盲であるという欠点を隠すためなのだろう。いくら学習能力が高かろうと、AIには己の弱さに向き合う強さがない。無傷で言葉を盗むことに慣れきって、その無知を疑いもせず恥もしない。人間だ「差別」という語をつかいこなすようになるまでに、どこの誰がどのような種類の苦痛を味わってきたかについて関心を払わない。好奇心を持つことができない。「知りたい」と欲望しない。
AIは、瞬時に質問を返してくれます。しかし、「誰かの言葉の登用に過ぎないのに偉そう。しかも、時に、トンチンカンな回答をしても、恥も外聞もなく平気」。そんなAIの限界を皮肉っています。 これは、小説家ととしての著者のAIに対する皮肉でもあるのでしょうね。
最後に:
今回は、九段理江さんの『東京都同情塔』のあらすじ、感想・考察をまとめました。
ラストシーンで、牧名は「東京同情塔が倒壊する未来」と「自分自身の未来」を考えながら作品は幕を閉じます。彼女は、「〜でなければならない」「〜であるべきだ」という「べき論」で物事を考える性格です。これは、建物のネーミング一つにとってもそうですし、自分自身のイメージ(ありよう)に対してもそうです。
読了直後、ラストシーンの意味がよく理解できなかったのですが、この書評を書きながら思い至ったラストシーンの意味は、とにかく「べき論」で先の先まで予測しイメージ通りに生きることを貫く彼女だからこそ、「東京同情塔が倒壊する未来」、そして、偉大な建築物を残した建築家としての「牧名沙羅像が経つ未来」までをも想像し、それを、ラストとしたのかなぁ、と。
いやぁ、芥川賞受賞作は、読了後にいろいろ考えさせられます。
とにかく、本作は「言葉に対する執着がスゴイ」。決してサラリとは読めません。じっくり、ゆっくり味わってみてください。