- 「登山」を通して「人生」という名の山道をどう生きるかを描く文学小説
物語は、関西の都市部から日帰りで行ける低層の山・六甲山での「登山体験」と、「普通の会社員の人生」を重ね、誰もが抱える人生の不安や焦燥をリアルに描き出す。 - バリ=道なき道を己判断と自己責任で歩く
「バリ」とは、「バリエーションルート」の略。登山地図に載っていない道なき道を、自己判断と自己責任で進む技術を要する登山スタイル。道なき道を進む過酷な登山は、人生の困難や不確実性の象徴する。 - 読む人の人生にも刺さる“静かな問いかけ”
仕事で多くの難題を抱えるビジネスマンに読んでほしい作品。人生への焦燥・不安を感じるビジネスマンの心にぐっと刺さる1冊
★★★★★
Audible聴き放題対象本
『バリ山行』ってどんな本?
第171回芥川賞を受賞した松永K三蔵さんの『バリ山行』は、「登山」を通して「人生」という名の山道をどう生きるかを描く文学小説です。表紙にある、以下のコピーの通り、山の魅力・厳しさ・危険を人生に重ねる主人公がリアルに描かれます。
会社も人生も山あり谷あり。バリの達人と危険な道行き。
圧倒的な生の実感を求め、山と人生とを重ねて瞑歩する
純文山岳文学
物語は、神戸や大阪など、関西の都市部から日帰りで行ける低層の山・六甲山での「登山体験」と、「普通の会社員の人生」を重ね、誰もが抱える人生の不安や焦燥をリアルに描き出します。
タイトルの「バリ」とは、「バリエーションルート」の略。登山地図に載っていない道なき道を、自分の判断と技術で進む登山スタイルです。美しい自然、達成感、そして危険。正規ルートにはない魅力とリスクをはらんでいます。
道なき道を進む過酷な登山は、人生の困難や不確実性の象徴。本作では、この「バリ」がそのまま、他人の価値観に従って生きるのではなく、「自分で選び、自分で歩く」=「人生のバリ道」を象徴しています。
仕事で多くの難題を抱えるビジネスマンに読んでほしい作品。人生への焦燥・不安を感じるビジネスマンの心にぐっと刺さる1冊です。芥川賞受賞作は純文学だけに、読解が難しい本も多いですが、本作は読みやすい。しかも、「人生の生死」を感じさせてくれます。
『バリ山行』:あらすじ

主人公の波多は、主人公・波多は、中途入社2年目の妻子持ちの会社員。前職で、人間関係を避けた結果、リストラの憂き目に遭った苦い経験を持っています。
新たな入社した新田テックでは、会社内での人間関係を重視し、登山部に入部。近場の低山の山歩きサークルですが、そこで、同僚・妻鹿(めが)に出会い、彼の登山スタイル「道なき道を行くバリ」に魅せられます。
妻鹿は、仕事でも登山でも「自己流」を貫く風変わりな男。営業なのに作業服で現場に詰める顧客重視の四十前後の一匹狼。波多は彼が、「MEGADETH」のアカウントで登山アプリに山行記録していることを知り、興味を持ちます。
一方、再起を図るべく入社した新田テックでは、経営の不透明感が忍び寄り、職場では、リストラ話がささやかれ始めます。再びリストラに合えば、再就職先に難儀することが自明な波多は焦りと不安を募らせていきます。
こんな時、波多は、問題案件で妻鹿に助けられ、その時に見せた彼の仕事の対する姿勢に魅せられます。そして、ふたりでバリ山行へ挑む約束を取り付けます。
しかし、妻鹿が先導するバリは、まさに死を意識させるほどの過酷さ。そして、滑落。生きるか死ぬかー。「本物の危機」を味わいます。「今、なぜ、こんな危機にあっているのか…」と、危険なルートに連れてきた妻鹿にも怒りが沸き上がります。幸い、妻鹿に救助してもらい、ケガも軽症で済みましたが、心身困憊。山歩きの危機と自分の崖っぷちの人生も重なります。そして、「遊びで死んでは意味がない。本当の危機は遊びの山じゃなくて、生活の地盤である街にある。妻鹿さんが山に張り付いていられるのも、街があって、仕事があるから。実態を見ず、逃げているのは妻鹿さんだ。」と、山歩きでも仕事でも自身のやり方を貫く妻鹿に、苛立ちをぶちまけてしまうのです。
これにより、2人は気まずい雰囲気に。その後、体調とケガで波多が休職している間に、妻鹿は会社を辞め、連絡も取れなくなります。しかし、波多は、山をやめることなく、ソロでで山を訪れます。そして、歩きながら妻鹿と歩いたバリの感覚をかみしめ、自分の人生を考えます。そして、妻鹿が今も山行を続けている痕跡を見つけ、彼の生き方に思いを馳せるのです。
『バリ山行』:感想

『バリ山行』は、登山というテーマを通じて、現代人の仕事の悩みなどの人生の苦難・葛藤の中で、どう生きていくかを描いた作品です。人間関係や社会の矛盾に、自分を重ねずにはいられなくなる物語です。
自らの生き方を自問自答する小説
本作は、凡人が、登山を通じて、自らの生き方を自問自答する小説です。誰でも日帰りで行ける低山・六甲山も、古くは修験道の修行の場です。岩場や変化のある上級者向けの難所もあります。また、一方で、凡人の人生も山あり谷あり。難所が待ち受けています。
多くの人は、登山も人生も、安全なルートを行きたいと思います。空気を読み、いわゆる安全と言われる人生の選択をして生きた方が、確かに人生のリスクは少ないでしょう。しかし、それは「自分を殺す生き方」。人生のリスクは減る分、ストレスを抱る生き方となりがちです。
では、妻鹿のように、己の道を探り続ける孤高の生き方はどうか?こちらも楽な道ではありません。ただ、自分を押し殺すより「自分らしく生きる」方が幸せであることは間違いありません。本書は、何かと息苦しい会社員人生を顧みさせてくれます。
妻鹿という存在が突きつける「生き方の選択」
妻鹿は、特別な才能や地位があるわけではありません。ただ、自分のやり方を貫いている。その姿勢に、波多は魅力を感じつつも、苛立ちも覚えます。
自己流を貫く姿勢に魅力を感じる一方、人生に焦る自分と比べて無性に腹が立つ——。
この感情のリアルさが、本作の大きな読みどころではないでしょうか。波多と妻鹿は、同じ会社にいて、同じように崖っぷちにいるのに、その生き方は真逆。腹が立つのは、人生に焦る自分自身に対してかもしれません。共感と反発の間で揺れる感情が、読者に刺さります。
「バリ山行」が教えてくれる、生き方のヒント
妻鹿のセリフ、「ひとりだからいいんだよ、山は。」これは、ソロ登山家の哲学そのものなのではないでしょうか。
ソロ登山とは、誰にも頼らず、自分の判断と責任で山を登る旅。ルート選び、水分補給、体力配分、天候判断——すべて自分で決め、自分で引き受けなければなりません。誰かのせいにできないソロ登山は、まさに自己責任の極地です。
また、山登りの時間は、孤独ではなく、自分と向き合う時間。自然の音に耳を澄まし、心のノイズを消し、自分の内面と対話する時間です。そして、一歩一歩を重ねた先に山頂があり、頂で景色を見渡したとき、自分がちっぽけでありながらも確かに「生きている」ことを実感できる喜びがあります。
登山も人生も、他人の価値観に従って生きるのではなく、「自分で選び、自分で歩く」ことが求められるのです。
こう考えると、登頂は一つの目的かもしれないけれど、大事なのは「登っている時間そのもの」。人生も、ゴールや成功ではなく、「どんなふうに歩くか」。人生も、何を成し遂げる以上に、どのように生きるかが大事です。
バリ山行の過酷さは、人生の不確実性や困難のメタファーです。そして、それを誰かのせいにすることなく、自分の力で受け止め、乗り越えていくことの尊さが、本作では描かれます。
最後に
今回は、松永K三蔵さんの芥川賞受賞作『バリ山行』のあらすじと感想を紹介紹介しました。
『バリ山行』は、ただの登山小説ではありません。これは、「どう生きるか」を問い直す物語です。常識や社会的役割に縛られず、自分らしい歩き方を見つける勇気。それは、今を生きる私たちへの静かなメッセージです。
- 他人と比べない勇気
- 一歩ずつ進むことの尊さ
- 迷いや失敗から学ぶ力
- 頂上だけで終わらない道のり
- コントロールできないものと共に生きる知恵
こうした登山の教えは、そのまま人生の指南となります。ぜひ、多くの人に読んでほしい1冊です。
なお、171回芥川賞で『バリ山行』と同時に大賞を受賞したのが、朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』です。全く傾向の異なる作品ですが、こちらも多くを問う作品であると同時に、「人の生死」について深く考えさせられる作品です。どちらもAudible聴き放題で聴けるので、合わせて、読んでみて下さい。
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芥川賞受賞作の書評も合わせて掲載しておきます。
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