- 紫式部日記は、『源氏物語』の作者、紫式部が宮仕えの日々を綴った回想録。後宮を舞台にセレブリティ達の思惑が交錯する、華麗なる政治エッセイ
- 紫式部がいかに鋭い観察眼の持ち主だったがよくわかる。道長・彰子・女房の姿が生き生きと描かれる!
- 原文の解説・寸評が秀逸!NHK大河ドラマ「光る君へ」の視聴者なら、今後の彰子と一条天皇の展開、紫式部の宮仕えなど、より面白く見れること間違いなし。歴史が好きになる教養UPの書
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Kindle Unlimited読み放題対象本
『紫式部日記』ってどんな本?
紫式部日記は、『源氏物語』の作者、紫式部が宮仕えの日々を綴った回想録。後宮を舞台にセレブリティ達の思惑が交錯する、華麗なる政治エッセイでもあります。
紫式部日記では、以下のような内容がつづられています。紫式部が鋭い観察眼で、人々を生き生きと描き出します。
- 主人彰子のはじめての出産
- 敦成親王誕生
- 豪華な祝い事、色とりどりの装束、おしゃれなやりとり
- 一条院・彰子との内裏での日々
- 平安セレブリティ達の思惑・権力闘争・素顔 等
角川ソフィア文庫の ビギナーズ・クラシックス 日本の古典『紫式部日記』では、紫式部が執筆した【原文】を【現代語訳】【寸評】で解説。特に【寸評】は秀逸!非常にわかりやすく、時代・文化の背景や日記の読みどころが解説されます。
学校での国語の「古文」で、こんな風に説明してくれたら、どれだけ、平安時代に興味を持てたか!と悔しく思えるほどの内容です。
NHK大河ドラマ「光る君へ」の視聴者なら、今後の彰子と一条天皇の展開、紫式部の宮仕えなど、より面白く見れること間違いなしです。
- 紫式部の人物像を知りたい方
- NHK大河ドラマ「光る君へ」をより面白く&深く楽しみたい方(ドラマとの違いに注目)
- 平安中期がどんな時代であったか、深く知りたい方
紫式部日記:読みどころ
紫式部は鋭い観察眼を働かせ、平安の時代を生きた人々を生き生きと描き出します。
平安時代は、入内した女性が天皇の愛を得て天皇候補の男子を産むことができるかどうかが、実家の運命を決定した時代。権力闘争が露骨に渦巻く中、セレブがその地位を維持するために、懸命だった姿が描かれています。
特に、以下の3名の様は必見です。
- 娘の入内・お産に政治家としての栄達を賭けた藤原道長の張り切りよう
- 重圧にじっと耐えながらも、やがて、凜 とした女性として開花してゆく彰子の姿
- 彰子を見守りながら、自分も女房として成長してゆく紫式部自身の姿
以下では、本書で紹介される日記のエピソードから、特に面白く感じた内容を紹介します。
紫式部日記:主人彰子のはじめての出産
『紫式部日記』は、秋の気配が訪れる、藤原道長の豪邸・土御門殿の描写から始まります。彰子の出産が迫り、聴こえてくるのは、中宮の安産を祈る「不断の御読経」。藤原道長の命で24時間体制で邸宅に呼び集められた高僧が読経を唱えています。
21歳初産。彰子の重すぎる重圧
出産間近の中宮彰子は、苦しいに違いありません。しかし、周囲に心配をかけないように、苦しさを露わにしないように努めています。
- 9年越しのやっとの懐妊。数え年21歳での初産
- 【一条天皇との関係】今なお亡き中宮定子に心がある一条天皇。彰子にとっては、一心に帝に寵愛を受ける状況ではなかった中での出産。心から出産を励まし、力づけてくれる存在とは言えない状況
- 【藤原道長からの重圧】摂関家の娘として天皇に入内した彰子にとっては、男子を産み、父・道長の権勢に協力することが、家から与えられた使命
- 【貴族・女房の関心】男子・女子どちらが生まれるかに強い関心。これにより、「権力図」が変わる
21歳の女性が受け止めるには重すぎる重圧・不安・孤独を抱えながら、それでも表面上何事もないように振舞う彰子。そんな彰子の心の内実を知る紫式部は、彰子の健気さに胸がいっぱい。姿に単に主人への尊敬を超えた、感動を覚えるのです。
小説『月と日の后』は、国母・彰子を主人公に描かれた歴史小説です。これまで、映画・ドラマなどでクローズアップされることがなかった人物ですが、父・道長の政治の推し進め方から距離を置き、自分を強く保ち、よい世にしようと、一条天皇亡き後の天皇たちを後ろから支えた彰子の偉大さに、心揺り動かされます。
21歳の初産の時から、彰子には、立派な国母足る素養があったことを、紫式部日記に教えられます。
若宮「敦成親王」が誕生。道長は外祖父に
彰子の初産は難産。陣痛が始まってから36時間、未だ、子は生まれません。
中宮がどうにかなってはしまわないかと、女房たちは気が気でありません。紫式部は、「いつもはきれいにしている同僚女房の化粧崩れ」まで、日記に描き出します。また、いつもは邸宅をびっしりきれいに保っている道長が、彰子の出産直前はそれに心を占領され、邸のことにまで意識が行きとどかず、乱れている様も。さらに、親類・縁者がどんな様子であったかも。
彰子の初産のあまりにリアルな瞬間が日記に書き記されています。紫式部の観察眼の鋭さー。あえて、たわいのないことを書き記すセンスが凄いですね。こんな紫式部だからこそ、複雑な恋愛を描いた『源氏物語』が生み出せたと感服然りです。
難産の上、無事に若宮「敦成親王(あつひらしんのう)」が誕生。これで、道長は、定子の産んだ敦康親王(あつやすしんのう)に対抗できる一条天皇の皇位継承者候補(孫)を手に入れました。あとひと押しで外祖父摂政の座が見える所にこぎつけたのです。
「五十日の儀」の宴席で
『光る君へ』第36回「待ち望まれた日」では、敦成親王(後の後一条天皇)の生誕50日目にあたる夜に、子どもの誕生を祝って成長を祈る儀礼「五十日の儀」の宴席のシーンも描かれました。
『紫式部日記』はこの宴席のシーンを見事に描き出しています。ここでも、紫式部の観察眼が光ります。
へべれけに酔ってだらしなく女性に絡む右大臣・藤原顕光(宮川一朗太)は相当に酷評。今風に言えば、「あいつはダメね。あんなのはセクハラだ」と評されています。一方、紫式部の評価がよかったのが、右大将・藤原実資(秋山竜次)。女房たちの衣装の褄や袖口のかさねの色を観察し、派手過ぎないかとチェックしている様子が描かれます。宴席でも仕事をしている実資を高評価しています。大河ドラマはこのシーンをかなり忠実に描いていて、笑ってしまいました。
「五十日の儀」で道長に命じられて紫式部が詠んだ歌
いかにいかが数へやるべき八千歳の あまり久しき 君が御代をば
若宮誕生から五十日のお祝いに、どのようにかまで数えるのが良いのでしょう。何千年も長く続くはずの若宮のご治世を。
なかなか、モリモリに盛った歌ですね。ドラマでは、藤原道長がすぐに返歌を返しています。
あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も かぞへとりてむ
わたしに鶴と同じ千年の寿命があれば、皇子の御代千年の数を数えることができるだろうに
そもそも、道長は歌が苦手です。道長の日記『御堂関白記』も漢字間違いがいっぱい。和歌も一条天皇との関係を保つためだけに勉強しています。そんなことを知っているからでしょう。ドラマでは、道長の妻・倫子が、紫式部との関係に疑念を抱いている姿が描かれていました、
『紫式部日記』にも、若宮様の祝いの席で藤式部が求められて和歌を詠み、道長が歌で返したことが書かれています。ドラマとは描き方が異なりますが。
紫式部日記:道長の策略
紫式部日記には、藤原道長が様々な「話」の中で登場します。これらの話は、道長がどのような人だったかがを、イキイキと描き出します。
野心を温め、着実に準備する道長
浮かび上がるのは、「野心を温め、着実に準備をする道長」の姿です。100年にわたる藤原家による摂関政治も、この着実な準備があったからです。
皇室の血を引く源倫子を正妻に迎えた。道長が、兄・道隆の娘・定子よりも優れた后候補とするために、道長は高貴な妻を選んだのも、したたかな戦略の1つに他なりません。ここに、道長の持って生まれた「強運」が加わりました。
摂関政治(外祖父摂政)への道
道長が目指した「外祖父摂政」。
摂政とは、天皇が幼かったり病気だったりして政務を執ることができないときなどに、天皇に代わってそれを行う役職。完全に自分の意志で政務を執ることができる最大の権力です。この役職がこれほど権限を持つようになったのは、平安時代も初期の清和天皇の時(866年)。この役を務めたのが、清和天皇の母方の祖父でもあった藤原良房です。良房は、孫の天皇に代わって、死ぬまで国政を執り続けました。
ここに、天皇家に生まれた人間でなくても、摂政となれば天皇の代理として天皇と同じ権力を握ることができるようになった前例ができたのです。
良房はたまたまの偶然がかさなり、絶大な権力を手に入れました。しかし、その後の貴族は、計画的に、自分の娘を天皇に入内させ、皇子を産ませ、その皇子を即位させようとします。が、この計画の成就に大変に難しい。
- そもそも、娘が必要
- 娘と天皇の年恰好が合わなくてはいけない
- 入内後、娘が天皇に寵愛されなくてはならない
- 娘が男子を生まなければならない
と言った具合で、条件が厳しく、達成は容易ではありませんでした。
これを成功させたのが、道長の父・兼家です。そして、その後を継いだのが道長。何人もの娘・孫娘を入内させ、男子を生むことを成功させました。
道長には「民を幸せに導く政治力」はありませんでした。しかし、着実にやれることを準備して、「藤原家の栄華」を存続させるという点では、ものすごい力があった人でした。
敵を作らず、うまくやる。紫式部との関係も然り
外祖父摂政を実現する準備には、「人間関係攻略」が必須。「人を見る目」「敵を作りすぎることなく人間関係でうまくやる能力」が必須です。
紫式部日記の中には、人とうまくやる道長の姿がいろいろと登場します。女房をも気にかけ、気の利いた声をかけるなど、なるほどなぁと思う、エピソードが散らばっていて面白いです。
しかし、そうは言っても…
藤原氏・天皇家関係図:至る所で妬みが…(光る君へ 弟36・37話)
ちょっと脱線する話題になりますが…
大河ドラマ『光る君へ』 第36回「待ち望まれた日」では、彰子の初産と敦成親王の誕生が描かれました。
「敦成親王の誕生」の誕生により、藤原氏・天皇家のパワーバランスが大きく変化。
『光る君へ』 第37回「波紋」では、亡き中宮定子と一条天皇の子である「敦康親王(あつやすしんのう)」を次の帝にしたい藤原伊周(ふじわらこれちか)と、彰子の子と一条天皇の子「敦成親王(あつなりしんのう)」を次の天皇にしたい藤原道長の権力の座を巡るバトルが描かれました。
結果的には、藤原道長が勝利します。
勝者がいれば、その裏には敗者がいる。
権力の頂点に上り詰めるということは、その裏には、敗れ去った人たちがおり、その人たちは勝者の恨みを買うと言うことです。特に、この時代は、にくき相手を呪い殺そうとする呪詛(呪い)が頻繁に行われた時代です。
たとえ、それが同じ血族であったとしても、呪います。いや、むしろ、 近い関係であるからこそ、腹立たしく、権力をわが手に取り戻すべく、呪詛して殺そうと画策するのです。
関係が近いからこそ妬みはおそましいモノとなるのです。これは現代社会でも同じ。「人間のサガ」です。例えば、人は到底同列に並ぶことのない超金持ちを心の底から妬むことはありません。しかし、同じ部署の同僚の年収が10万円でも多いと激しく妬みます。
大河ドラマ『光る君へ』では、藤原伊周が藤原道長を貶めたり、呪ったりしようと画策する姿が何度も描かれていますよ。 第36回「待ち望まれた日」でも、藤原伊周が男子誕生を阻止すべく、呪詛するおぞましい姿が描かれました😱
呪詛・呪いについては以下の本も面白い!
藤原氏・天皇家関係図:至る所で妬みが…(光る君へ 弟40話)
『光る君へ』 弟40話 「君を置きて」 では、一条天皇が崩御😭
これまでのパワーバランスが崩れ、少しでも有利な権利を手に入れようと、人々が画策します。
天皇は一条天皇(弟66代)から三条天皇(弟67代)へ。彼は花山天皇と兄弟。道長とは関係が遠いので、帝の人気をいつ奪われるか心配です。
そして、次の帝の第一継承者である東宮は、彰子腹にして幼子の敦成親王(後の後一条天皇)へ。定子腹の敦康親王は一条天皇の長男ですが、外祖父の座を狙う道長によって退けられました。
この東宮問題で、道長と彰子は対立。以降、二人は、立場をたがえていきます。
このころの道長を描いた小説はいろいろありますが、結構「道長=悪者」として描かれている作品が多いように思います。以下もそんな作品の一例です。
小説『月と日の后』は彰子を描く物語。「藤原氏第一」な道長とは方針を異にして、一条天皇の意に従い、国母として、国を良くしようと努めます。
小説『望みしは何ぞ』は、藤原摂関政治を終わらせることになる「藤原道長の子」が主人公の小説。ちなみに、高官についている子・頼通ではありません。同じく道長を父に持っても、虐げられている人がいるんですよ。「くそっ!」と悔しい想いをしているわけです。
いや~、この時代の小説、人間関係のバトルが、なかなか凄くて、知れば知るほど面白いです。
紫式部日記:女房「紫式部」の成長
NHK大河ドラマ『光る君へ』では、藤原道長と紫式部の恋愛が描かれます。あろうことか二人の間に「娘・賢子」まで設けたことになっています。
しかし、現実は、清少納言と違い自ら宮仕えしようという意欲があったわけではありません。30近くで最愛の夫を失い、娘を抱えて生活の不安… シングルマザーで生活を立てるという超現実的な理由から、道長の要請に応じたものと考えられています。
本当は宮中づかえをしたくなかった紫式部
『光る君へ』 第36回「待ち望まれた日」では、以下のようなシーンがありました。
彰子「あれはなんの話だ?」
まひろ「白居易の新楽府の一節にございました。唐の国の白居易という詩人が民人の声を代弁し、為政者のあるべき姿を示した漢詩にございます。帝のお好きな書物と存じます」
彰子「それを学びたい。ないしょで」
漢文を学んで、一条天皇を驚かせたい(もっと愛されたい)という想いが、とてもかわいらしく、また、国母になるべく成長する姿がとても微笑ましくありました。
しかし、紫式部、とにかく、同僚の女房たちが怖くて、宮仕えしたくなかったんですよね。どうやら『光る君へ』 第37回「波紋」では、女房たちとの確執も描かれそうです。
宮仕えを始めた初期のころの紫式部については、以下でまとめているのでご参考に。
高貴な人たちと渡り歩き、女房として成長する紫式部
『紫式部日記』には、彰子を見守りながら、自分も女房として見聞きし、成長してゆく紫式部自身の姿がその心情を通じて描かれます。下記のようなエピソードを通じて、紫式部の女房としての成長を知ることができます。
- 宮仕えで知った華やかな生活。その裏で繰り広げられる渦巻く権力争い
- 天皇とて逃れられない、貴賤にかかわらず「生きる」ために伴う「苦」
- 『源氏物語』を書くことで、救われた心。人々の称賛で得た自信
- 凛とした女性として成長する主人彰子の姿に感銘を受けて生じた女房としての紫式部の使命感 など
煌びやかさを描く『枕草子』 VS 宮中の暗・苦も描く『紫式部日記』
定子在りし日の姿を記した清少納言のエッセイ『枕草子』には、宮中の「明るい側面」しか書かれていません(あえて明るい部分だけを書いている)。
対して紫式部は『紫式部日記』で、宮中の煌びやかな世界も描くと同時に、一見華々しい世界がはらむ「苦」の面を、あえて目をそらさず、記しました。没落した定子サロンを煌びやかに描く枕草子、および、清少納言の教養知識について、ディっています。(和泉式部の歌については褒めつつ、素行が悪いと評しています)。
定子・彰子の運命と共に、2つのエッセイを読み比べると、平安時代がとても面白く見えてきます。私は、すっかり平安絵巻にはまってしまいました。そして、本日も、別の平安本を楽しみ中です。
和泉式部の色恋への奔放さは、以下にてご確認を。
最後に
今回は、角川ソフィア文庫の『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』からの学びを紹介しました。
本記事で紹介した以外にも、以下のような日記内容も必見です。
- 平安時代の豪華すぎる祝い&イベントの多さ。そこに集う人々(姿、お召し物、思惑)
- 貴族たちの性格
- 紫式部と藤原道長のエピソード
- 紫式部と『源氏物語』
この本、本当に【寸評】が秀逸です。今まで以上に、平安時代の背景を深く知ることができました。
冒頭でも記した通り、NHK大河ドラマ「光る君へ」の視聴者なら、今後の彰子と一条天皇の展開、紫式部の宮仕えなど、より面白く見れること間違いなしの1冊です。これまでのストーリーもより深く理解できるはずです。是非、手に取って読んでみてください。