- 阪神・淡路大震災から30年。『心の傷を癒すということ』は、支援活動を通じて、心のケアが必要な被災者たちに寄り添った著者の経験や洞察の貴重な記録。「災害におけるメンタルケアの重要性」を知らしめた、バイブル的著書
- 本作が教えてくれるのは、「心の回復」はそんなに簡単なものではないということ。〈心のケア〉は「生きづらさ」の解消。社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われた問題である
- 日本で生きる限り、地震・災害からは逃れられない。次は自分が被災者になるかもしれない日本人の「心構え」としても読んでおくべき名著
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『心の傷を癒すということ』ってどんな本?
2025年1月、NHK Eテレ『100分de名著』で取り上げる名著はは安克昌(あん かつまさ)さんの『心の傷を癒すということ』。
阪神・淡路大震災から30年。1995年 1月17日。淡路島北部を震源に、マグニチュード 7.3の巨大地震が発生。死者数6,000人以上、阪神高速道路が倒壊するなど、その経済的被害は約10兆円とも言われます。
安さんは、自らも被災者でありながら、震災の直後から診療や救援活動に奔走された精神科医。本作は、心のケアが必要な被災者たちに寄り添った著者の経験や洞察の貴重な記録です。災害直後の人々の精神状態、精神疾患の人たちの病状・苦悩、復興期に取り残される人たちのなどが、被災医療従事者の視点から明らかにされます。
私が本作から学んだのことは、「心の回復」はそんなに簡単なものではないということ。被災者に笑顔が戻ったからといって、もう安心とは言えません。被災者と非被災者の間には大きな境界があります。被災者の悲しみは非被災者にはわかりません。また、〈心のケア〉は「生きづらさ」の解消であり、は精神・心理の専門家によって解決できるものではありません。社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われている問題だと指摘します。
被災するとはどういうことか、
生活、そして、心はどう変わるのか、
災害で傷ついた人々の心はどう回復するのか(しないのか)、
社会全体で被災者にできることは何かー
安さんは、心に傷を負ったすべての人々へのメッセージを語り掛けます。被災に限らず、心に深い傷を負った人すべてにとって大切なことを教えてくれます。
また、日本に住む限り、地震・災害から逃れることはできません。次は自分が被災者になるかもしれない日本人の「心構え」としても読んでおくべき名著です。一人でも多くの人に読まれることを望みます。
阪神大震災を見た精神科医の記録
本作は、安さんの被災体験記から始まります。学術的な専門用語を使わず、震災者の身に起こったリアルを明らかにしていきます。
- 一瞬でがれきと化した街の風景
- あまりのショックに、冷静を装いながらも、表情が硬く、話し方に抑揚がなくなる人々
- 余震に怯えながらの避難所生活で神経をすり減らす被災者
- 不安・恐怖・苛立ちで、心のやり場がなく、壊れていく夫婦生活・家庭生活
- PTSDに悩まされる精神病者
被災者を救助・救援するのも被災者
災害というものは、こういうものなのだ。埋もれた人を助ける人手がない。道具がない。消火活動するための水がない。負傷者を運ぶ手だてがない。病院で検査ができない。手術ができない。収容するベッドがない。そして、スタッフは全員疲労困憊 している。こういう状況で、多くの人がなおかつ働き続けたのである。
被災地で活動するのも被災者という現実ー。安さん自身、被災するまでは漠然と、救援者とは災害地域の外部の人間だとなんとなく思っていたと明かします。しかし、現実はそんなに甘くないことに気づかされたと言います。
しかし、災害現場では、交通寸断、防水インフラが破損により、まともな消火・救援活動が行えない中で、被災者から消防士たちには罵倒が浴びせられたといいます。住民から感謝されるはずの救助者が罵声を浴びせられるほど心が傷つくのが地震です。
大自然の猛威を前に、何もできない自分に「無力感」を抱いた消防士たちにも、「心のケア」が必要になったと言います。これは、医療・警察・行政、様々な場所で起こったことでしょう。
では、そんな状況下でも、彼らは黙々と仕事に専念したといいます。なぜなのでしょうか。
「働くこと」に拠り所
使命感によるものだけではなかっただろうと思う。混乱した状況の被災地に住む人々は、働くという行為によりどころを求めていた。働くことで安定した〝日常生活〟を取り戻そうとしていたのである。
自ら被災した救助者には、いくら頑張ろうが「使命を果たした充実感・満足感」はありません。しかし、「十分なことができなかったという不足感」の方が強い。何もしない方が不安なのです。不安な時は、「なんでもいいからやることがある方がいい」と言いますが、まさに、その状態です。故、自らを酷使し、消耗させてしまうのだと言います。
災害のリアルが伝わってきます。
災害と心のケア
「心の回復」は個人だけでは解決できません。安さんは「社会のありかた」に目を向けます。
〈心のケア〉の長期的な目標は、『生きづらさ』の緩和
災害直後の『異常な状態における正常な反応(不眠、緊張、不安、恐怖など)』がいったん落ちついたように見えても、心の傷が解消したと言い切ることはできないのである。目立った症状はなくても、ある種の『生きづらさ』が持続していることがあるからである。それは心から楽しむことができない心境、社会との齟齬の感覚、孤立感といったものである。こうした苦痛は、精神科の『症状』としてはとらえにくく、『病気』として治療をうけられることは少ない。
〈心のケア〉の長期的な目標は、こうした『生きづらさ』をいかに和らげるかということにある。
心の傷や心のケアという言葉が一人歩きすることによって、『被災者の苦しみ=カウンセリング』という短絡的な図式がマスコミで見られるようにもなったと私は思う。その図式だけが残るとしたら、この大災害からわれわれが学んだものはあまりに貧しい。(略)……
苦しみを癒すことよりも、それを理解することよりも前に、苦しみがそこにある、ということに、われわれは気づかなくてはならない。だが、この問いには声がない。それは発する場をもたない。それは隣人としてその人の傍に 佇んだとき、はじめて感じられるものなのだ。
街の復興、被災者生活の再建が進み、多くの被災者が徐々に平穏な日常を取り戻しても、「心の問題は別物」。苦しみへの理解が必要であり、寄り添うことが欠かせません。そして、デリケートで長期継続して取り組まなければならない問題であると、安さんは指摘します。
一発のショックより、慢性的・持続的なストレスが心を蝕む
私たちは、一発の強烈なショックに心を痛めます。しかし、実際は、最初の震災の衝撃以上に、その後の生活の変化から受ける慢性的・持続的なストレスの方がずっと身にこたえる。生活をどう立て直すか、今後、どうやって収入を得ていくのか… これだけでも極めて大きなストレスです。
さらに、震災から時間がたつにつれて、問題は複雑化。震災の影響なのか、家庭・社会の原因なのか、判別しがたくなっていきます。
安さんは、本作で、見過ごされやすい震災を発端とする心の傷を一つ一つ取り上げ、それらを「社会全体に加わったストレス」として、「災害とケア」を論じています。これに関し、実に多くの指摘が行われています。
「社会のあり方」こそ大事
世界は心的外傷に満ちている。 「心の傷を癒すということ」は、精神医学や心理学に任せてすむことではない。 それは社会のあり方として、今を生きる私たち全員に問われていることなのである。
震災からの復興は、経済を立て直すことだけではありません。また、人の心は、医学・心理学で解決できるものではありません。結局のところ、大事なのは「社会のあり方」です。『生きづらさ』が解消されるような社会が必要です。本書を読むと、そのことが、ひしひし伝わってきます。
ただし、それは簡単ではありません。だからこそ、たとえ根本解決が難しくても、当事者に寄りそい、理解し、声を代弁し、当事者が社会から孤立しないよう〝ヨコのつながり〟を大切にする〈心のケア〉が大切と、安さんは指摘しています。
安さんが、〝ヨコのつながり〟として大切だと述べるのが、ボランティアやコミュニティの存在です。災害の後、生き残った住民はある種の共同体感情の下で身をよせあう「ハネムーン期」は、コミュニティの中で、皆で生き残ろう、立ち直ろうとする「人との支え合い・助け合い」が、生きる支えになります。
しかし、その時期を終えて、被災者が自分の生活の再建と個人的な問題の解決に追われる時期に突入すると、急速に地域の連帯や共感が失われる問題についても指摘しています。自分事になると、人はどうしても「利己的」になり、また、「他人との比較」をはじめます。そのことが、新たな壁を生み出していくのです。
震災は被災した人にしかわからない
被災者と非被災者にできる「境界」
「体験していない人には言ってもわからない。 はたからは元気になったと思われてるでしょうけど、 一時も忘れたことはありません」 ある人がそう述べ、みんな頷いていた。 死別体験直後の強い感情の嵐は何年たってもおさまることなく、 内部で吹き荒れているのである。 そしてその感情は、周囲に対して何年も隠されている。
私たちは、震災から時間が一定時間経過し、笑顔が戻った知人に再開したとき「元気そうでよかった」という言葉を投げかけがちです。しかし、被災者にとってはそうではない。元気そうに見せないといけないから元気に見せているだけです。元気そうに繕わないと、「いつまでも震災を引きずって…」という視線がわが身に刺さるようになるので、それを防衛しているだけなのです。
震災日を境に、被災者と非被災者の間には、どうしても分かり合えない「境界」ができる。
同じ経験を持つ人との会話で心が癒されるのに対し、境界線の向こう側にいる知り合いとの会話がとても辛くなる。むしろ、知らない人との会話の方が気楽なほどに…。
心の傷となる体験は、同じ苦しみや悲しみの感情をもつ者同士によってはじめて共有されます。たとえ専門家であっても容易に近づくことはできません。
夫婦でも安心はできない
感情は他人に対してだけではなく、配偶者に対しても共有されるとは限りません。生活の立て直し・お金など、お互いに話題を避け、夫婦は正面きって話し合われないことも多いからです。そのことが夫婦の仲を歪め、離婚につながることも少なくありません。特に、子ども・家族など愛する人を失くした夫婦は…
立場の弱い人たちを襲う「社会全体に加わったストレス」のしわ寄せ
上記のような、壁は様々なところに生じます。このような「社会全体に加わったストレス」のしわ寄せが最も大きく出てしまうのが、子ども、老人、仮設住宅者、生活困窮者、在日移民など「弱い立場の人」です。
子どもは、平常時であれ災害時であれ、子どもは自分の力で生活を切り開くことはできません。子どもの生活と運命は親に大きく依存しています。震災に伴い、家庭生活に生活苦・両親の不和などが起こっていれば、子どもの心も傷つき荒れています。
だからこそ、誰かが、そのことに気づき、親を含めてサポートしてあげる必要があります。これは、その他、弱者についても同じです。
心のケアに大切なこと
死別の悲しみを 癒 やすための 10 の指針
震災に限ったことではありませんが、誰もが感じる最大の心のショックが「死別」です。「死別の悲しみを癒やすための10の指針」として、『愛する人を亡くした時』からのアドバイスが紹介されています。
- どのような感情もすべて受け入れよう
- 感情を外に表そう
- 悲しみが一夜にして 癒えるなどとは思わないように
- わが子とともに悲しみを癒やそう
- 孤独の世界へ逃げ込むのは、悲しみを癒やす間違った方法
- 友人は大切な存在
- 自助グループの力を借りて、自分や他の人を助けよう
- カウンセリングを受けることも悲しみを癒やすのに役に立つ
- 自分を大切に
- 愛する人との死別という苦しい体験を意味ある体験に変えるよう努力しよう
「心を閉ざして、孤独になってはいけない」ということです。
孤独にならないこと
心的外傷を受けた人は孤立しやすい。 それは、誰にも理解してもらえないという気持ちが強いこと、 また外傷体験と心の中で葛藤しているため外に向かう余力が残されていないこと、 などさまざまな理由による。
心的外傷を受けた人は、無理やり笑顔を作ったり、さらに傷つくのを恐れ、外出を控えがちになります。しかし、それでも傷ついた人に一番大切なことは、「孤独にならないこと」だと安さんは言います。
多くの人が、震災時に、ボランティアに駆け付けた他県ナンバーの車を見ただけで、心が救われたと言います。それは、見放されていないと感じるからです。
適切な人とつながり、頼ることが大事です。従来日本の美徳であった「思いは閉まっておく」は適切な対処法ではありません。辛い気持ちを自らの心の中にとどめおくと、さらにメンタルは傷つき、心身の病気に発展します。医師を頼る、同じ経験を持つ人・グループと関り、気持ちを吐き出す場を作るなどが必要です。
最後に
今回は、安克昌さんの『心の傷を癒すということ』からの学びを紹介しました。
冒頭でも記した通り、日本に住む限り、地震・災害から逃れることはできません。次は自分が被災者になるかもしれない日本人の「心構え」としても読んでおくべき名著です。一人でも多くの人に読まれることを望みます。